ようこそ奈良へ
倭(やまと)は 国のまほろば
たたなづく 青垣
山隠れる 倭しうるはし
関東育ちの者は、こんな奈良に漠然とした憧れを持っています。
特に歴史・文学が好きだった私は、たぶん人並み以上だったと思います。
高校生のとき、百人一首を全部を覚え、そこに奈良を詠った歌が多いことを知りました。
・天の原 ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも 阿倍仲麿
・春過ぎて 夏きにけらし 白妙の 衣干てふ 天の香具山 持統天皇
・ちはやぶる神代も聞かず竜田川 からくれないに水くくるとは 在原業平朝臣
時は流れて・・・結婚1年目の記念にと、晩秋の奈良に向かいました。
いまは廃止された夜行列車・能登大和号に乗って、早朝、奈良駅に到着し、一番に訪れたのは薬師寺でした。
理由は2つです。
1つは中学校の修学旅行のとき、今は亡き薬師寺・第127代管主、お若かりし高田好胤師から薬師寺・仏法について軽妙洒脱な解説・説法をお聞きしたことが忘れられなかったこと。
2つめは、万葉集研究に一生を捧げた佐々木信綱氏の歌「行く秋の大和の国の薬師寺の塔の上なるひとひらの雲」の風景を実際に体感したかったこと。
それから6年後、大阪の本社に転勤となりました。
何たる喜び、会社が用意した一軒家の社宅は、近鉄奈良線学園前駅から徒歩1分の所にありました。関西での生活、新しい仕事への不安より、奈良に住めた喜びの方が大きかったことを覚えています。
当然のことながら、舞週末には神社仏閣を訪れ、春にはまだ幼かった娘2人を夫婦で背負って吉野山へ観桜に出かけました。
途中、海外生活6年半のブランクがありましたが、帰国後に当然のごとく元社宅にほど近い地域にマイホームを購入しました。
以来20余年、娘達も巣立ち、再び夫婦2人となって定年を迎え、東京に戻ることも考えましたが、第二の故郷・奈良を去りがたく、密かにここを終の棲家と心に決めました。
そんな奈良を自分の足と目と筆で書き留め、合わせて在住30年に対するささやかな恩返しとして、奈良を紹介するサイトを立ち上げました。
未だ公開間もないため、記事はほんの僅かですが、これから充実を図る予定です。
このいまだ拙いサイトをご覧になった方が、お一人でも奈良に行ってみようか、という気持ちになられたら、望外の喜びです。
国のまほろば、日出る国創始の地・奈良へのご来訪をお待ちしております。。す
奈良県は、世界(文化)遺産登録3ヶ所という、世界でも例を見ない自治体です。
また国宝・重文の数は約1,600件、京都と並んで他を圧倒する多さです。
中でも皆様が訪れ、観光・鑑賞する国宝の建築物・彫刻の数は文句なしに日本一です。
さらに正倉院が保管する宝物は、現在整理中のものだけで9000点を越え、これを算入すると、奈良県は日本一の文化財件数を誇る県となります。
奈良は建国神話の地であり、その後の古代から飛鳥・奈良時代の表舞台でした。神話の時代を含めて、歴史に関心がない方でも簡単に思い起す奈良ゆかりの人物を挙げてみましょう。
卑弥呼(九州説もあり)・神武天皇・聖徳太子・天智天皇・天武天皇・藤原鎌足・蘇我入鹿・小野妹子・聖武天皇・行基・鑑真・・・・。
日本最古の歴史書である古事記、日本書紀や万葉集も奈良時代に編集されました。
仏教が伝来したのも飛鳥の地でした。