栄山寺 (五條市)
国宝・八角円堂(奈良時代)
奈良市方面から南下してきた国道24号線は吉野川にぶつかると、吉野川から紀ノ川と名前を変えた大河の流れに沿って和歌山市へ向かう。
吉野川と国道の間には、江戸時代、旧紀州街道の宿場町として栄えた面影を今に残す新町通りが静かな佇まいを見せている。
その吉野川の手前、案内板に従って国道24号線を左折し、100mほど進んだ先に栄山寺がある。

道路側からフェンス越しに境内を垣間見ると、荒廃した古寺に思える。
しかし、ここには国宝・重文の建造物・仏像などが数多くあるのだ。


栄山寺は養老3年(719年)、藤原武智麻呂によって創建された〔当時は前山寺(さきのやまでら)と呼ばれた〕。
武智麻呂は藤原不比等の長男、藤原四兄弟の1人で藤原南家の祖である。
栄山寺は奈良時代から藤原南家の氏寺として栄え、広い境内を持っていた。
南北朝時代には、南朝の3代の天皇が滞在していたことから、栄山寺行宮(あんぐう)跡として、国の史跡にも指定されている。

入山料400円を支払って境内に入る。
梵鐘(国宝)は延喜17年(917年)の銘があり、銘文は菅原道真撰、小野道風書とされ、京都・神護寺、宇治・平等院の鐘と共に平安時代三絶の鐘と呼ばれている。
室町時代に建てられた大日堂は重文、その側には鎌倉時代初期の石造の七重の塔が苔むして立っている。
本堂(薬師堂)は室町時代末期の建築で、堂内には室町時代作の本尊・木造薬師如来坐像と木造12神将立像(いずれも重文)などの仏像が安置されている。
梵鐘(国宝)
大日堂(重文)
七重石塔婆(重文)
本堂(薬師堂)、この前の石灯籠も重文
境内の一番奥にあるのが国宝の八角円堂だ。
天平宝字年間に、武智麻呂の子である仲麻呂が父母追善供養のために建立した。
外観は平面八角形で四方に扉があるが、内陣はは四角形である。

内陣にはもともと極彩色の仏画が僅かに残されており、重文に指定されている。
境内一番奥にある八角円堂(国宝)
内陣
住 所 五條市小島町503
電 話 0747−24−0065
アクセス JR和歌山線五条駅から徒歩5分、五條バスセンターから高田・大淀方面行きバスで栄山寺口下車徒歩15分
入山料 大人 400円