秋篠寺 (奈良市)

秋篠や外山の里や時雨らむ生駒の岳に雲のかかれる 西行

2006年1月5日、二つの病院を掛け持ちの間に1時間半余りの待ち時間が出来たので、私が好きな秋篠寺を訪れることにした。

自宅から6km・15分ほどの距離にあるこの小さな寺は、秋篠宮家の創設で話題になり、一躍知名度が高まった。


寺は、平城京の北西端に位置し、最寄の近鉄奈良線(大和)西大寺から徒歩で20分ほど、周囲は住宅街に囲まれている(ルートは下記)

しかし、常緑樹が生い茂る境内に入った瞬間、人家からは隔絶され、静寂に包まれて心身とも凛と引き締まる。

入り口は南門と東門があるが、是非、東門から境内に入られることをお薦めする。白壁沿いに沿って進むと、冬でも緑の常緑樹の根元が見事に苔むした内苑に導かれ、やがて小さな建物の受付に達する。
伎藝天のお寺
東門、右手に無料駐車場(10台)がある。
砂利道を踏んで白壁に沿って境内を進む。境内全体が重要文化財に指定されている。
苔寺(西芳寺)のような苔蒸した境内
受付、拝観料は500円
受付から見た本堂
本堂(国宝)
伎藝天(重文)
重要文化財の秘仏・大元帥明王を安置する大元堂
左の大元堂で大発見!
シオジイこと塩川正十郎氏寄進のご神灯
天平の甍の面影
境内は広くはないがよく手入れされ、さびれた気配はまったくない。
秋篠寺は、奈良時代末期の宝亀七年(776年)、光仁天皇の勅願により創建された。(地元の秋篠氏の氏寺の説有り)
その後、保延元年(1135年)、兵火によって金堂・東西両塔等が消失した。
鎌倉時代以降桃山時代にかけて、講堂(現在の本堂)改修や南大門の再興等が行われたが、明治元年の廃仏毀釈で十指に入る諸院・諸坊と寺域の大半を失い、わずか本堂を残すのみの現在の姿となった。

往時の姿は、林の中に点在する多くの礎石などによって偲ばれる。

かくして、現在は小さな寺院となった秋篠寺だが、貴重な文化財を多数有している。
先ずは境内全体が重要文化財、本堂が国宝、本堂内に安置されている本尊の「薬師如来」、両脇侍の「日光菩薩・月光菩薩」、さらに「帝釈天」、「地蔵菩薩」が重要文化財である。
また、秘仏である大元帥明王及び東京国立・奈良国立・京都国立博物館に貸し出されている四体の像も重要文化財である。

本堂は、創建当時は講堂として建立されたが、金堂の消失以後、鎌倉時代に大修理を受け、以来本堂として扱われている。
そのため、事実上は鎌倉時代の建築であるが、様式的には奈良時代建築の伝統を引き継いでおり、単純・素朴な様式だが均整の取れたどっしりした姿である。

上記の通り多くの寺宝を有するが、中でも本堂左端に立つ「技藝天(ぎげいてん)」は天平の美女、その写実的でわずかに腰をくねらせた肉感的な姿が多くの人に称賛されてきた。
      諸々のみ佛の中の伎藝天
      何のえにしぞわれを見たまふ(川田順)

秋篠寺創建時の作と推察される伎藝天は、平安時代の末の兵火のために、胴体部分が破損し、鎌倉時代に修復された。従って頭部は奈良時代の乾漆造、首から下が寄木造の像となっている。
因みに、大自在天王(シバ神)の髪の生え際から生まれた天女である伎藝天は、わが国にあっては、ここにしかない極めて珍しい像である。

宗派は当初の法相宗より平安時代以降に真言宗に転じ、明治元年には浄土宗に属したが、戦後、単立宗教法人として既成の宗派宗旨にも属さないことになった。


繰り返しになるが秋篠寺は小さな寺院だ。忙しく周れば入門から出門まで15分足らず。しかし、もう6〜7回通ったが、いつも心安らぐ。伎藝天はいつ見ても美しい。
前から欲しかった技藝天の4枚組のカラー写真を買い求めて、寒風吹き荒ぶ東門を出た。
2006.1.5 作成
住 所 奈良市秋篠町757
電 話 0742−45−4600
寺 宝 寺域全体が重要文化財
国宝:本堂
重文:「薬師如来・日光菩薩・月光菩薩・帝釈天・地蔵菩薩・大元帥明王
以下は3ヶ所の国立博物館に貸し出し中
十一面観音・救脱菩薩・梵天・地蔵菩薩
アクセス ・近鉄奈良線西大寺下車 徒歩20分
・近鉄奈良線西大寺下車、奈良交通バス押熊行バス秋篠寺下車
拝観料 500円
駐車場 東門横 10台(無料)
URL  
苔が見事な庭園
受付