元興寺・極楽坊(奈良市)
近鉄奈良駅から行基菩薩像の立つ小さな広場を右折し、アーケドで被われた「東向き通り」「餅飯殿通り」を南下して15分足らずの所に、元興寺(がんごうじ)の一坊、元興寺極楽坊がある(1998年12月世界文化遺産に登録)。

元興寺一帯は昔から「奈良町」と呼ばれ、入り組んだ路地が多く、江戸・明治時代の町家の面影を残す格子戸の家を数多く見かける。これらの家は間口は狭いが、奥行きが深い。

奈良町(という住所は無い)には、町屋や民家、蔵などを生かした飲食店・小間物店・ギャラリー・ミュージアムが数多くあり、ノスタルジーを感じる。
ここには、奈良のそば処として、かならず名前があがる「玄」や「吟松」もある。
元興寺や十輪院拝観と組み合わせて散策することをお薦めする。

元興寺へは、猿沢の池の南西から南へ延びる細い道もある。古くは「上街道」「上ツ道」と呼ばれ、お伊勢参りの街道だった。
元興寺入口前の通りは比較的広く、左手に10台程度の駐車場がある。

この寺は、蘇我馬子が明日香に法興寺(現 飛鳥寺)を建立し、平城遷都にともない、718年、これを平城京に移建して寺号を元興寺に改めたものだ。かっての元興寺は南都七大寺の一つで、敷地は2000町歩と定められ、東大寺の4千町歩に次いで広かった(因みに大安寺・薬師寺・興福寺は1千町歩、法隆寺は500町歩)。

受付で拝観料400円を支払って境内に入ると、目の前に小規模だががっしりとした「本堂(極楽堂・国宝)」がある。鎌倉時代の再建で、間口6間・奥行6間、柱間が中央が広く両側が狭くなる。
屋根の一部には奈良時代の瓦葺が残っている。
町家造りの店
厄除け・身代わり申
奈良町資料館
カフェ
堂内に入ると、中心に柱がある。僧坊を改造したからだそうで珍しい建築様式式らしい。
「禅室」は奈良時代の僧坊の遺構で、鎌倉時代に再建された。
現在の元興寺の正門に当る「東門(重文」)は、室町時代に東大寺から移築されたもの。

建造物を一通り拝観して、数多くの国宝・重文文化財が陳列されている収蔵庫に入る。
かって建っていた元興寺五重塔の模型と伝えられる高さ5mの「五重小塔」は、国宝で奈良時代の製作である。
五重塔の左右には、「木造阿弥陀如来坐像」「木造弘法大師像」「木造聖徳太子立像」(いずれも重文)などが陳列されている。

ここには「元興寺文化財研究所」が設立され、いまや全国各地の文化財保存・修復・調査を手がけていて、民間唯一の研究機関として有名だ。
尚、近くにもう一つ元興寺があるが、これはかっての金堂・五重塔・講堂などがあった旧跡であるので間違わないように。
世界遺産に登録された南都七大寺の一つ
世界遺産登録碑
東門(重文)
木造聖徳太子立像(重文)
住 所 奈良市中院町11
電 話 0742−23−1376
寺 宝 国宝:本堂(極楽堂)・禅室・五重小塔
重文:木造阿弥陀如来坐像・木造弘法大師像・木造聖徳太子立像・著色智光曼荼羅図・絹本著色曼荼羅図など
アクセス 近鉄奈良線奈良駅下車 徒歩15分
拝観料 400円
駐車場 周辺に駐車場多数(猿沢池東側に公営・大型駐車場あり)
URL 無し
本堂・極楽堂(国宝)
禅室(国宝)
2006.1.16作成
かっての南都七大寺の面影は無く、境内も狭くなっている。しかし、昔の面影を偲びつつ、本堂に入って内部を拝観したり、国宝3点をはじめとする文化財をゆっくりと拝見した。
受付では私と同じ年頃の男性としばし会話を交わした。その方は雪の多い山形を逃れて、昔から好きだった奈良に奥様と転居し、仏像を彫り、週に2日ほど、ここで受付の仕事をしているという。
こんな生き方があるんだと感銘しながら、再会を約束して寺を辞した。