住 所 奈良市法華寺町882
電 話 問合せ先 0742−33−2261
寺 宝 本尊十一面観音立像(国宝)、絹本着色阿弥陀三尊及童子像(国宝)
本堂(重文)、南門(重文)、鐘楼(重文)、乾漆維摩居士座像(重文)、木造仏頭(重文)庭園(国史跡名勝庭園)等
アクセス 近鉄 大和西大寺駅 JR奈良駅・白土町行バス10分法華寺前下車歩3分
JR・近鉄 奈良駅 大和西大寺駅・自衛隊前行バス14分
法華寺前下車 歩3分

最寄の地図
拝観料 500円 但し特別開扉などの日は700円
駐車場 東門横に専用駐車場(30台程度)がある。
法華寺HP
奈良県観光情報HP
http://www2.odn.ne.jp/hokkeji/
http://www.nara-kankou.or.jp/ch-temple/temple_frm.html 
近鉄奈良線・京都線・橿原線が交わる大和西大寺駅前の道を東に進むと間もなく、広大な平城宮跡が見えてくる。資料館の前を通り過ぎると、同じ右手に現在建築中の大極殿が現れる。
まだ覆いがされてその全貌は見えないが、平城遷都1300年に当る2010年に完成し、その壮大な姿を目にすることが出来る。

平城宮跡が尽きたところに、光明皇后ゆかりの門跡尼寺(皇族が住職となる格式高い寺院)・法華寺が尼寺に相応しい静謐な佇まいを見せている。
法華寺は、聖武天皇発願の総国文寺・東大寺に対して、光明皇后発願による総国分尼寺として、父に当る藤原不比等の邸宅跡に建立された。当時は法華滅罪之寺と呼ばれ、七堂伽藍を持つ大寺院であったそうな。

しかし平安遷都とともに衰退し、鎌倉時代に一時復興されたものの戦国時代に兵火に遭い、またその後の地震によって金堂や東塔が崩壊して寺勢が衰えた。
現在の境内は、慶長年間に豊臣秀頼の母・淀君の寄進によっ本堂・南門・鐘楼を再建したものである。
淀君の発願によって再建された奥の本堂(重文)と手前の袴腰付鐘楼(重文)。
奥が南門(重文)手前はつい最近完成した浮御堂(正式呼称不詳・法華寺HPにも写真はあるも名称記載なし)
通用門である1間1戸の東門で、赤く塗られていることから赤門とも呼ばれる。奥に見えるのが「からぶろ」
平城宮に近く、万葉人が多くの歌を残した秋篠・佐保路には、秋篠寺・不退寺・興福院・海龍王寺そして法華寺など静かな佇まいの小さな寺院が数多く点在する。
そしてこれらの寺には美しい仏様が座しておられる。
伎芸天(秋篠寺)、聖観世音菩薩立像(不退寺)、十一面観世音菩薩立像(海龍王寺及び法華寺)がそれだ。


法華寺の本尊・十一面観世音菩薩立像(国宝)は、榧(カヤ)の一木造りに衣文(えもん)を刻んだもので、平安時代を代表する仏像だ。
身の丈1mほどなので遠いお姿だったが、秋篠寺の伎芸天に似て僅かに腰をひねり豊満なお体だった。
像は発願した光明皇后を模したという説もある。
この日(2007.6.6)、曾孫達に会いたくて東京からやって来た家内の母親と付き添ってきた妹とともに佐保路周辺を車で周った。
目的の寺は秋篠寺と法華寺。

義妹は、この日が秋篠寺のご神水のお水汲みと法華寺の秘仏本尊・十一面観世音菩薩立像の特別開扉に当ることを事前に調べていたからだ。

久しぶりの法華寺は境内が整備され、池に浮かぶ御堂が新しく建てられていた。

法華寺・十一面観世音菩薩立像(絵葉書から)
東門にかけられていた看板。6月5日〜9日 午前9時〜午後5時とあった。

特別開扉は、毎年3回行われる。法華寺のHPでは、3月18日〜4月9日、6月4日〜6月8日、10月25日〜11月12日とあったが、6月の日付が看板と違っており、毎年曜日に合わせて決めるのかもしれない。
この日は、 庭園を見学することも出来た。

本堂横の中門を入るとすぐに、回遊式の国史跡名勝庭園、それに江戸時代初期の書院造である客殿と上の御方(かみのおかた)が目の前に一望できた。

庭園は仙洞写といわれる江戸時代前期の御所風庭園で、もう終わりかけていたがカキツバタが薄紫の花を咲かせていた。
本堂の東側には、光明皇后が病人・貧者を入浴せしめたという伝えがある「浴室(からぶろ)」がある。一種の蒸し風呂で、建物は江戸時代に再現したものを最近修復した。(国史跡)
からぶろの手前には、自然の趣を残した庭園がある。まるで英国式庭園のような雰囲気を漂わせている。
法華寺 (奈良市)
光明皇后ゆかりの門跡尼寺・法華寺を秘仏開扉の日に拝観した。