新薬師寺 (奈良市)
,新薬師寺への道
閑静な高畑町の志賀直哉旧宅から、道標に従って南へ10分余り、土塀が立ち並び、古都奈良を象徴する風情ある小路を歩くと新薬師寺に至る。

新薬師寺は、仏教を厚く信仰し、東大寺を建立した聖武天皇の病気回復を祈願して、天平19年(747年)、光明皇后が建立した。
最盛期には、南都十大寺の一つに数えられ、伽藍が立ち並び、僧1000人が住んだという。

現在、創建当時のままに残っている建物は、金堂だけであるが、その他に鎌倉時代に再建されたものとして、東門・南門・地蔵堂・鐘楼などがあり、何れも重文に指定されている。


尚、新薬師寺の「新」は、新しいという意味ではなくて、「あらたかな」薬師寺を意味すると言う。
南門をくぐると、木立や秋ともなると可憐な花を咲かせる萩の向こうに本堂(国宝)がどっしりと構えている。
創建当初は食堂(じきどう)だったようだが、入母屋造・本瓦葺、数少ない天平時代の建物は堂々たる風格を漂わせている。

右手には、小さな地蔵堂と鐘楼(何れも重文)があり、何れも鎌倉時代の建築である。鐘楼に掛けられている梵鐘(重文)は神亀4年の銘を持つ。

中央向かって左側から、本堂内に入る。
外からは窺がえない高い天井の下に、本尊である一木造の薬師如来像が南面に向かって座し、これを守るようにして、あまりにも有名な十二神将(国宝)が円台にぐるりと立ち並んでいる(但し波夷羅(はいら)大将は、昭和の補作なので指定外)。
今回で何回目の拝観だろうか、いつ見てもその迫力に圧倒される。
南門(重文)
東門(重文)
鐘楼(重文)
地蔵堂
「ゆどうふ」の案内板
内陣に配置された神将(国宝)。但し、波夷羅(はいら)だけは昭和の補作なので指定外。
最も人気のある伐折羅(ばさら)大将(写真右)
像の前には群青・青・緑・朱・金箔などが使われて目にも鮮やかだった原像をCGで復活させた写真が置かれていた。
「十二神将」は「薬師如来」を守護する眷属(けんぞく)である。

ここの「十二神将像」は、天平時代のものであり、日本最古の像だ
粘土を材料とする「塑像」であり、焼いてはおらずただ固めたものなので、高温多湿の我が国にあって、よくぞ1200年余りも保存されてきたと思う。

各々が等身大、憤怒の表情を浮かべ、武器や法具を持ち、躍動的な姿を見ているといつまで経ってもあきが来ない。

十二神将は、また、干支の神でもあり、円台をぐるりと回って、自分の干支の神将を探す楽しみもある。

 今年(2006年)は戌年に当るが、たまたまその神は、12体で最も人気の高い「伐折羅」大将。像の前には一段と多い献灯がなされていた。
あまりの迫力に感動のみならず畏怖さえ感じる国宝・十二神将。
天平時代の本堂(国宝)
2006.2.8作成