薬師寺 (奈良市)

行く秋の 大和の国の 薬師寺の 塔の上なる ひとひらの雲

佐々木信綱

中学校から高校にかけて学んだ和歌の中で、百人一首を除いて、いまだに諳んじれるのは2つだけ。そのうちの一つが標記の歌だ。
「の」が5回も連続するのが異端だが、不思議なリズム感になって快い。

中学の修学旅行が京都と奈良、まだ東塔しかなかった薬師寺に、特別な感動は無かった。
しかしまだ若かりし頃の高田好胤師が、寺と仏法について、分かりやすくユーモアたっぷりに解説してくださった記憶が鮮明に残っている。

それから10数年後、会社勤めで初めての転勤が大阪にある本社。貸与された社宅が近鉄奈良線の学園前駅から徒歩1分の一軒家だった。

新しい業務、新しい勤務地、それへの不安より奈良に住めたことが嬉しく、真っ先に訪れたのが薬師寺だった。

近鉄橿原線西ノ京駅から徒歩10分の撮影ポイント
近鉄橿原線の西ノ京で下車すると、東側へ徒歩1分で薬師寺(法相宗大本山)の裏門に着く。
しかし、いったん踏み切りを渡り、100mほど南下してもう一度踏み切りを渡ると南門(重文・1512年建立))に着く。
南門が正門になるので、時間を惜しまずに、こちらから境内に入りたい。


尚、奈良市内から県道9号線を利用して車で来た場合は、薬師寺への標識を通り過ぎ、右側に「薬師寺駐車場」の案内板が出てきた角で右折すると、大きな有料駐車場(有料)に至る。

薬師寺の建立は680年(天武9年)、天武天皇が皇后の病気平癒を祈願して、飛鳥の藤原京に創建、平城遷都とともに、現在の地に移建された。

天平時代の薬師寺は、東大寺・興福寺等とともに南都七大寺に数えられ隆盛を誇った。

その後、973年の火災、1528年の筒井順慶の戦火で、東塔を残すのみとなった。
南門からの東塔
金堂には、黒く光る銅像が安置されている。本尊の薬師如来像である。

本来は金色に輝いていたが、火災と年月の経過で現在の姿になっている。

左右には脇侍として、日光・月光菩薩が配置されている。

堂々たる本尊に対し、両脇侍はやわらかな曲線を描き、たおやかな姿だ。

本尊薬師如来、左右に日光・月光菩薩。いずれも国宝。
(「堂内撮影禁止」につき、堂外から撮影)
東塔(国宝)は、薬師寺ばかりでなく、白鳳文化をを代表する建造物である。
創建は730年、高さは約34m、言わずもがなのことだが、各層にスカート(裳階)を付けているため六重塔に見えるが、実際は三重塔である。
必ず引用されているフェノロサの「凍れる音楽」のコメントの意味は分からないが、裳階と屋根の長短で、強弱・強弱・強弱の2拍子のリズム。
また、上階に行くに従って細くなるので、屋根の上にある相輪を先頭にして天に向かって突き抜けていくようにも見える。

西塔は1981年に復興された。
鮮やかな「青(あお)」と「丹(に)」の色使いは、まさに奈良を象徴する。
これを見て「ドキツイ」とか「趣がない」と批評するのは見当違いだろう。

薬師寺の創建当時の姿が、いまに見られるのだ、と感謝しなければならないと思う。

薬師寺に唯一残る創建当時の建造物。
屋根・裳階が奏でる長短の2拍子のリズム感、天に向かう姿が美しい。
1981年再建。「青(あお)」「丹(に)」の色使いは、まさに「あおによし ならのみやこは さくはなの におうがごとく いまさかりなり」の通りであり、平城京の華やかさを今に伝えてくれる。
薬師如来像
金 堂
南 門
薬師寺遠望
西 塔
境内に入ると、先ず目に飛び込んでくるのが1976年に再建された金堂である。
朱の色も鮮やか、見る者はその豪壮さには圧倒される。
東 塔
講 堂
2003年春、落慶したばかりの講堂は「大講堂」と呼ぶに相応しいスケールだ。
昭和51年に金堂、同56年に西塔が落慶し、以後中門・回廊の再建工事と平行して大講堂の復元設計に着手。
完成した大講堂は、薬師寺様式の裳階を持ち、正面41m、奥行20m、高さは約17mあり伽藍最大の建造物である。

講堂とは大勢の僧が参集し、経典を学ぶ場所のことで、講堂が金堂より大きいのは古代伽藍の通則だそうだ。
確かに、私のデジカメでは端が切れてしまう巨大さだった。


講堂には、白鳳〜天平時代の作とされる弥勒三尊像 (重文) が安置されている。
東院堂
東院堂〔国宝)は、東塔の東側の木立の中にある。間口7間、奥行4間の入母屋造である。

もともとは養老年間(717〜724)に吉備内親王が元明天皇の冥福を祈るため建立されたが、天禄4年(973)の火災で焼失し,現在の建物は、鎌倉時代の弘安8年(1285)に再建されたものだ。

堂内には、白鳳仏を代表する聖観世音菩薩(国宝 )が安置され、その四方は鎌倉時代の四天王像が守護している。
講堂の裏側に「仏足石」「仏足跡歌碑」が置かれている。何れも天平時代のもので国宝である。
中門・回廊
中門は昭和59年(1984)に、西塔に引き続き復興された。その年、10月8日の落慶法要の時には扉だけを開き、昭和天皇が奈良で開催された「わかくさ国体」の開会式(10月10日)に来訪され、その翌日に初通りを行った。(写真では右手の中門が切れている)
また、平成3年(1991)には二天王像も復元された。回廊は第二期までが復興工事を完了し、第三期工事を進めている。
平成3年(1991)に建立された。
玄奘三蔵は法相宗の始祖に当たり、昭和17年(1942)に南京に駐屯していた日本軍が土中から玄奘三蔵の頂骨を発見、その一部が昭和19年(1944)に全日本仏教会にも分骨された。これを納骨し建設したのが当伽藍である。
平山郁夫画伯が描いた、玄奘三蔵求法の旅をたどる「大唐西域壁画」は、玄奘塔北側にある大唐西域壁画殿で見ることが出来る。
但し、公開が期間限定なので、薬師寺のHPで確認ください。
(平成18年は1月1日〜5日、3月20日〜6月15日、9月16日〜11月25日)、
その他の寺宝
・吉祥天画像(国宝)
有名な麻布著色吉祥天は光明皇后を写したとも言われている。公開は、1月1日〜15日が金堂、10月上・中旬頃から1ヶ月、大宝蔵殿で拝観できる。年によって期間が変更されるので薬師寺HPで確認してください。


・慈恩大師像(国宝)
慈恩大師は長安の人で、インドから多くの法典を持ち帰った玄奘三蔵の弟子で法相宗の始祖。この像は一般公開されていない


住 所 奈良県奈良市西ノ京町457
電 話 0742-33-6001
アクセス ・近鉄難波、京都から快速急行または特急で大和西大寺で乗り換え。各駅停車天理行きまたは橿原神宮前行きに乗車。西ノ京駅下車すぐ。
・車の場合は下記参照

http://www.nara-yakushiji.com/access.
拝観料 玄奘三蔵院伽藍公開時期 大人800円
非公開時期 大人500円
詳細は下記HP参照
駐車場 大型有料駐車場有(上記アクセスURL参照)
URL http://www.nara-yakushiji.com/
玄奘三蔵院伽藍