住 所 奈良市佐紀町
電 話 0742-34-3931  
開館時間 9時〜16時30分(入館は16時まで)
休館日 毎週月曜日
(月曜日が休日のときは火曜日)
展示品 復元模型(第一次大極殿院・長屋王邸・東院庭園・東朝集殿)
発掘された食器・装身具・木簡(レプリカ)・瓦等
ビデオ室
アクセス 近鉄奈良線(大和)西大寺から徒歩10分
入場料 無料
駐車場 有り(約100台)
奈良文化財
研究所HP
http://www.nabunken.go.jp/
世界遺産・特別史跡の平城宮が、いまとても面白い。
ただの原っぱだとと思っていたのに、いつの間にか朱雀門だけでなく、当時の宮内庁・庭園などが復元されていた。

しかし広い。1万歩歩かないと全部の施設を観光できない。
先ず最初に平城宮跡資料館を訪れ、平城京・平城宮の基礎知識・アウトラインと地図をゲットしてから1万歩の第1歩を踏み出そう。
青丹吉 寧楽乃京師者 咲花乃 薫如 今盛有 小野老

今からおよそ1,300年前、奈良盆地の北の端に人口10万人の大都市が出現した。
「あをによし 奈良(寧楽)の都は 咲く花の にほうがごとく 今盛りなり」と詠われた平城京だ。

元明天皇が藤原京から遷都したのは710年(和銅3年)のこと。それから784年(延暦3年)に桓武天皇が長岡京に都を移すまでの74年間を奈良時代と呼ぶ。
奈良時代・平城京
その平城京の北の端に建設された平城宮は、南北約1km、東西約1.3kmの大きさで、天皇の住まいである内裏、政治や儀式をとりおこなう宮殿、さまざまな役所、宴会の場となる庭園などが設けられていた。

しかし、都は784(延暦3)年に長岡京へ、さらにその10年後には平安京へと移り、平城宮もしだいに土の中に埋もれていった。
国の特別史跡として大切に保存されてきた平城宮跡は、奈良文化財研究所が発掘調査を続けている。
平城宮跡は、1998年12月、世界(文化)遺産に登録された
平城宮跡資料館 (奈良市)
東大寺
再建中の大極殿
平城宮跡資料館
近鉄奈良線で奈良に向かって西大寺を過ぎると左手に広大な原っぱが見えてくる。
そう、初めてここを通る人には原っぱにしか見えない。
犬を連れたり、ウオーキングしている人が点のように小さく見える。
ふと右手を見ると朱塗りの大きな門がチラッと見えて、それで、あ、もしかしてなんかの遺跡と気がつく人もいる。
奈良に転居してきてしばらく、私も原っぱだっと思っていた。
平城宮
当時はその赤い門である朱雀門がまだ復元されていなかったからだ。
遺跡だと分かってからでも、つい最近までは他人に平城京跡と言っていた。
間違ってはいない。唐の長安をモデルにした東西約4.2km,南北約4.7kmの平城京の一部だからだ。

しかしこのほぼ1km四方の原っぱには、天皇の住居、政治を執政したり儀式を行う大極殿などがあったので、平城宮跡と呼称されている。
近鉄奈良線(大和)西大寺から徒歩で10分ほど、平城宮跡の北西に平城宮資料館がある。

今から5年ほど前、近くにある平城宮温泉で入浴した後、ここに立ち寄ったのが初めてだった。
一時、古代史に凝った私は、時間の経つのも忘れて展示されている発掘品を興味ぶかく見入った。

奈良文化財研究所(旧奈良国立文化財研究所)が1954年以来、今までに130haの平城宮跡のほぼ30%の発掘を進め、古代史研究上、多くの重要な成果をあげてきた。

資料館には、その間に発見した食器・装身具・庶民信仰など、当時の人々が実際に使用していた出土品が多数展示されている。

また木簡のレプリカも展示されいて、、そこに書かれた政(まつりごと)の文章やイキイキした暮らしの証言を読むと、奈良時代の人々がとても身近になってくる。

このほか復元模型(第一次大極殿院・長屋王邸・東院庭園・東朝集殿)や官庁や堂塔に葺かれていた瓦も並び、都の壮大さをうかがい知ることが出来る。

入場は無料、まずここで平城京・平城宮の基礎知識を持って、それから目の前に広がる広大な旧跡をゆっくりと散策することをお薦めする。

尚、館内はフラッシュを使わなければ撮影可である。
平城宮跡資料館
天平時代の衣服
発掘された鬼瓦
政や庶民の生活が分かる木簡
隼人族の盾
画期的な長屋王跡発見
東院跡に復元された庭園
復元された宮内庁
遺構展示館
朱雀門の前を近鉄が走る
遺構の柱の跡
もう50年行われている発掘現場
大極殿跡
平城京全般は別途作成中
2006.1.21作成