所在地 : 前橋市苗ヶ島町 (旧 勢多郡宮城村
温泉名 : 忠治温泉
施設名 : 旅籠 忠治館 (入浴日:2006.4.4
大正時代に入ると国定忠治は大衆文学の対象となり、初トーキー「浅太郎赤城の唄」、赤城の子守唄、東海林太郎の「名月赤城山」、新国劇「国定忠治」等で彼の生涯はますます脚色された。新国劇の「赤城の山も今宵限り・・」で始まるセリフはあまりにも有名で、地方回りの劇団の出し物としては一番人気だった。
県内での群馬を代表する人物はというアンケート調査では、福田、中曽根元首相に大きく溝を開けて国定忠治がダントツのトップとなったこともある。しかし、最近は群馬県人でもクニサダをコクテイと読んでしまう若者も出てきているそうだ。
赤城の山も今宵限り・・・・

栃木県の塩原温泉からこの日の宿泊地・尻焼温泉(群馬県)に向かうために、赤城山の南麓を通過する国道122号線・363号線のルートをとった。

赤城山には赤城温泉・忠治温泉などがある。これらの温泉は、名湯・秘湯の宝庫・群馬県ではマイナーな温泉である。

それでも人気の温泉をスキップして、赤城山の温泉に立ち寄ることにしたのは、昔読んだ講談本のヒーローで、江戸時代末期の任侠「国定の忠治親分」の名前を冠した温泉を、むざむざ通り過ぎることが出来なかったからだ。

実際に立ち寄った旅籠忠治館は、こんなところに! と驚く情緒たっぷりの湯宿だった。
「旅籠忠治館」の浴室にかかる暖簾
国定忠治ゆかりの温泉の在所に触れるときは、村の方が似合うが、平成16年12月 5日、旧宮城村は他の2村とともに、前橋市と合併した。

旧・宮城村は群馬県のほぼ中央に位置し、県都前橋市から約10kmの距離にある。
旧村域は赤城山の南麓にあり、関東平野を眺望する傾斜地である。

赤城山(あかぎやま)
赤城山は関東地方の北部に位置する活火山で
榛名山、妙義山と並び、上毛三山の一つに数えられている。

中央部にカルデラを持つ、関東地方有数の複式火山で、黒檜(くろび)山、地蔵岳、長七郎(ちょうしちろう)山、鍋割(なべわり)山などの山頂を持つ。最高峰は黒檜山で、その標高は 1,828mである

冬期の関東平野に特有の「空っ風」とも呼ばれる北風は、赤城山の方角から吹くことから、「赤城おろし」の名がある。

住  所 群馬県前橋市苗ヶ島町2036
電  話 027-283-3015
交通機関 関越自動車道渋谷赤城ICから国道353線県道16号線などで約25km
上毛電鉄大胡駅からタクシーで20分
施  設(日帰り) ロビー、駐車場(推定30台)
宿  泊 13室 10、500円 (税込)〜)
入浴時間 11:00〜15:00
定休日 年中無休
泉 質 複数の表示があり混乱する。
ガイドブックでは炭酸泉(山と渓谷社 温泉・宿ガイド 群馬・新潟)
館内の表示はカルシウム・マグネシウム.ナトリウムー炭酸水素塩泉
旅館パンフレットでは単純泉
温泉をどこからか貰っているのだろうか?

泉温 43℃ 87.7リットル/分
適応症 不記載(理由は「温泉の基礎知識ー温泉の効能」参照)
入浴料金 500円
入浴施設 男女別内湯及び露天風呂
浴室備品 シャンプー、ボディーソープ、ドライヤー、ロッカー
観光スポット 赤城神社、赤城南面千本桜赤城高原牧場クローネンベルク、ぐんまフラワーパーク、大胡ぐりーんふらわー牧場
お土産・食事 近所に食事処・店舗はない。
館内で土産購入可
近くの温泉 赤城温泉・滝沢温泉・梨木温泉・赤城高原温泉・伊香保温泉・老神温泉
前橋市HP
忠治館HP
http://www.city.maebashi.gunma.jp/
http://www.chujikan.com/
雑記帳 『赤城の山も今宵限り」のせりふはあまりにも有名だが、その後の言葉が思い出せない。
インターネットでも調べたが見つからなかった。
国道363号線を進むと赤城山の頂が見えてきた。
赤城山は古くから地元では「あかぎやま」と呼ばれて親しまれていたが、国土地理院の地図には「あかぎさん」と記載されていた。地元群馬県民などには「あかぎやま」と親しまれていたのと、長年の陳情の結果「あかぎやま」と改称された。
国定忠治(長岡忠次郎)
本名は長岡忠次郎。
文化7年(1810年) 〜嘉永3年(1851年)、江戸時代末期の任侠。
上野国左位郡国定村(現在の群馬県伊勢崎市国定町)の名主・長岡家に生まれ、若くして任侠の世界に入る。

24歳のときに縄張り争いで殺人を犯し、関八州手配を受け信州に逃れる。
その後、沼地の開墾を行い農民の暮らしに貢献したり、上州の大博徒・大前田英五郎から兄弟分の杯を受けた。

忠治が売り出し中の天保年間は、幕府体制の弱体化による汚職や政治の乱れからか、大前田栄五郎のほかに駿河の清水次郎長、江戸の新門辰五郎・江戸屋虎五郎、甲斐の黒駒勝蔵等の日本を代表する任侠の祖が、関八州でしのぎを削っていた。(私には講談本でお馴染みの名前ばかりだ)

その後、忠治が41歳のとき、病気で伏しているところを捕らえられ、嘉永3年(1850年)、関所破りの罪で、磔の刑に処せられた。

忠治が磔になってから18年後に明治維新となり、忠治は義賊ということで、講談を通じて日本中に伝わった。
赤城山の南麓には赤城・梨木・滝沢・忠治・赤城高原温泉などが点在している。

いずれも国定忠治ゆかりの赤城山に湧く温泉だからどこの温泉でも良かったが、ずばり「忠治」の名が気に入ってここで入浴することにした。

この日は前日宿泊した塩原温泉郷からやって来た。
桐生市の少し手前で日光市から乗ってきた国道122号線と別れ、国道353号線に乗り換えて渋川市に向かう。

間もなく、右手前方に赤城山のやさしい山稜が見えてきて、渋川との中程で右折して高原地帯に入り、その後、急勾配の隘路を進みぐんぐん高度を上げて行った。
最奥部にある赤城温泉の数キロ手前で、一軒宿・忠治館に到達した。
「温泉」の文字が見つからなかったため、はじめ、忠治のテーマ館かと思って通り過ぎてしまった。
ここが江戸時代の雰囲気が漂う玄関。

名札には忠治の客分や子分の名前が書いてあり、一つ一つが客室の名前になっている。

例えば忠治一家の客分だった「円蔵の間」や第一の子分「民五郎」や「文蔵」の名前が見える。

別格の離れの部屋は、この時代、駿河の「清水次郎長」や江戸の「新門辰五郎」と並ぶ任侠の大親分・上州の「大前田栄五郎」の名称が付けられている。


あれれ!?肝心の国定忠治の間が無い。その理由をご主人に聞いたら「お客様が忠治さんでございます」と絶妙な答えが返ってきて感じ入った。
引き戸を開けると土間になっていて、一段高いところに黒光りした廊下と帳場がある。飛騨の民家風の造りで雰囲気タップリだ。
長い廊下も黒く光り、ここを通って風呂場に向かう。黒褐色の柱とピンクがかかった黄土色の壁とが絶妙なコントラストだ。
段差のある廊下を歩いていくと,両側に「円蔵」や「民五郎」の客室が出てくる。パンフレットで見る客室もこの雰囲気だ。
木造・重厚な脱衣棚
あちこちに垂らされた忠治の暖簾。
意識して造ったのだろうか。ノスタルジーを感じさせるタイル張りの内湯。
温泉は肌の滑りが止まるような渋い感触だ。。
樹木に囲まれ、崖にせり出した滝見露天風呂。体をせり出すと朝日滝が眼下に見える。
「♪♪男心に男が惚れて・・・・・♪♪」 名月赤城山の歌を思わず口ずさんでしまう雰囲気だ。
旅館名の前に「旅籠」がつく。その雰囲気をコンセプトにした田舎屋造りの外観・館内は心安らぐ。
この記事を脱稿する直前、テレビ「いい旅夢気分」でこの旅館が紹介されていた。

これまでまったく知らなかった旅館だが、関東では、けっこう注目されている湯宿かもしれない。
宿泊料金が1万円からというのも嬉しい。

「忠治館」という旅館名は、義理人情・任侠の世界を思い起こさせる。ご飯にも「人情盛り」という名が付けられている。
男性の朝食のご飯が山盛りにされて出されるそうだ。
「一宿一飯」という任侠の言葉を思い出した。

とは言え、この宿は和風モダンの手法を取り入れたシックで粋な宿だ。
女性に人気がありそうな雰囲気がたっぷり漂っている。
忠治温泉・旅籠忠治館 (群馬県)
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