菅原天満宮 (奈良市)
学問の神様(天神様)として全国の天満宮に祀られる菅原道真(845年・承和12年〜903年・延喜3年)だが、生誕地と言われる奈良市菅原町にその名も「菅原天満宮」があります。

しかし当稿を纏めるに当って、若干の下調べを行ったところ、どうやら菅原道真の生誕地は文書等で残っているわけでなく、他にも生誕地として「立候補」しているところがあるのが分かりました。(京都・菅原院、吉祥院天満宮、菅大臣天満宮など)

事実、「菅原道真生誕地の研究(真下五一著・風間書房出版)」といった図書が出版されているくらいです。
従って、生誕地については、これ以上触れないことにします。

菅原天満宮への最寄の駅は、近鉄奈良線(大和)西大寺駅。西大寺の東門の前の「歴史の道」を南下して約1km、15分ほど進むと右手に大仏殿を小さくしたような喜光寺の本堂が見えてくるが、その手前に菅原天満宮があります。
菅原の名前の由来は、近くを流れる秋篠川の辺に菅(すげ)が生い茂っていたので、菅原の里と呼ばれていたことに由来するそうです。
神社は、菅原道真生誕地にある由緒正しい天満宮として、この一帯の郷社として信仰されてきたようです。
毎年2月25日には、郷土色豊かなお田植祭(おんだまつり)が行われます。

ご祭神として、
・天穂日命(あめのほひのみこと)
・野見宿彌(のみのすくねのみこと)
・菅原道真
の菅家一系の三神(後述)が祀られています。

鳥居をくぐると正面に郷社としては立派な本殿がありますが、いつ頃の建築なのかは由緒書が手元にないため定かではありません。
●菅原道真(以下伝承)

菅原家は
野見宿禰(のみのすくね)」を祖とする。
野見宿禰は、日本書紀に登場する人物。
出雲国の勇士で、「天穂日命」の14世の子孫であると伝えられる(これで上記の「菅原一系」の3人が揃った)。

垂仁天皇の命により、当麻蹴速と角力で戦って勝ち、大和国当麻の地を与えられ、朝廷に仕えた(これにより相撲の神様と言われる)。


野見宿禰は皇后の葬儀のとき、殉死にかえて埴輪の制度を案出し、土師臣(はじのおみ)の姓を与えられた。
土師氏は代々天皇の葬儀を司り、後に姓を菅原に改めた。


菅原道真はその野見宿禰・土師の子孫に当り、祖父・父と続く文章博士(もんじょうはかせ)の家系に生まれた。
わずか5歳で和歌を詠み、10歳を過ぎて漢詩を創作し、神童と称された。

18歳で文章生、23歳で文章得業生、33歳で式部少輔、文章博士となり、学者としては最高の栄進を続けた。
これらの神童ぶりと異例の昇進が「学問の神様」と信仰される背景となっている。
東風ふかば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ   菅原道真
福岡県・大宰府天満宮には、毎年700万人が参拝する。4月の平日だったがこの人出だった。
本殿前には「飛び梅」、境内には200種類の梅が植えられている。
菅原天満宮
牛は伏した姿でなければならない。(下記)
境内は裏手を含めてかなり広く、道真公縁の梅の木があちらこちらに植えられていました。
また、梅の盆栽展が開かれるようで、まだ蕾だけの梅盆栽がたくさん,盆が並べられている。

参拝口の左右には、大小の伏した牛の像が置かれていたが、浅学のため、そのときはなんで牛なのか、分かりませんでした。(後述)

天神様として親しまれる道真公を祀った神社は全国津々浦々に及んでいます。
仏僧でない者で、これほど崇拝されてきた人物はそう多くはないでしょう。

以下、俄か勉強した菅原道真公についての伝承を付け加えます。
●大宰府天満宮
その後、蔵人頭、55歳で右大臣、そして、ついに、延喜元年1月7日、藤原時平とともに従二位に叙せらた。しかし、その直後、讒言により大宰府左遷となった。

このとき、道真は都を懐かしんで
「東風ふかば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」と詠った。
それを聞いて、道真が愛した都の梅が、彼を慕って飛んでいった、という「飛び梅」伝承が残る。

道真は不遇のまま大宰府で生涯を終えた。
その後、遺骸を牛舎に乗せて進んだところ、間もなくその牛が伏して動かなくなった。
(これで牛の伏せた像が置かれてあった背景が分かった)
これぞ道真公のご意思であろうとして、そこに葬ることにした。
その地に本宮が建立され、それが太宰府天満宮となった。

後に、醍醐天皇、一条天皇は道真を追悼し、左大臣、さらに太政大臣を贈り、天満大自在天神(天神様)として神格化した。
この死後の復活には、平安時代の初期に確立した御霊(怨霊)信仰により、憤死した道真の怒りを鎮めるため神格化し祀った、という説を何冊かの図書で見かけた。

御霊信仰(ごりょうしんこう)とは、天災・伝染病のような厄災が起きるのは、怨みを持って死んだ人の怨霊の祟りとして恐れ、それを鎮めようとする信仰のことである。


道真の死後、疫病がはやり、醍醐天皇の皇子が相次いで病死、さらには清涼殿が落雷を受けた。
これらが道真の祟りだと恐れた朝廷は、道真の罪を赦すと共に贈位を行った、という。

因みに、この清涼殿落雷によって、道真の怨霊は雷神と結びつけられ、朝廷は北野天満宮を建立して道真の祟りを鎮めようとした
 

本殿
住 所 奈良市菅原町518
電 話 0742-45-3576  
  不詳
アクセス 近鉄大和西大寺駅から徒歩20分
近鉄尼辻駅から徒歩15分
拝観料 無料 
駐車場 10台程度
URL 無し
2006.1.19作成
盆梅展
奈良の早春の風物詩として菅原の里・盆梅展が毎年2月上旬から3月上旬まで開催される。
会場はここ、菅原天満宮と隣の喜光寺
2006年度は次の通り。
開催日時 2月5日(日)〜3月5日(日)
開催時間 午前9時〜午後4時
会 場 菅原天満宮・喜光寺
参拝観梅券 各500円
菅原天満宮データ