あをによし 奈良(寧楽)の都は 咲く花の 
にほうがごとく 今盛りなり


奈良時代(710年〜784年)の都であった平城京
最盛時には、人口が10万人に及んだと言う説もあります。
その北に天皇が住む内裏、政治や儀式を行う宮殿・役所、宴会場となる庭園などが建ち並ぶ壮大な平城宮がありました。

しかし、都は784年(延暦3)に長岡京へ、さらにその10年後には平安京へと移り、平城宮もしだいに土の中に埋もれていきました。

時は流れて2010年、平城宮は遷都1300年を向かえ、少しずつ建物が復元されてきています。
このペースだと、200年後には、平城京は完璧に復元されるかもしれません。

● 観光・見学スポット及びルート
平城宮跡資料館
平城宮跡は1.2kmx1kmの広さなので、すべてを徒歩で周ると最低3時間は必要です。
(先日私が一周してすべての施設を見学し終わったとき、3時間弱、1万歩になった。)
周囲に駐車場が4ヶ所あるので、車で移動すると時間の節約が出来ます。
徒歩・車何れであれ、先ずは大和西大寺から徒歩10分の距離にある平城宮跡資料館からスタートすることをお薦めします。
平城京跡資料館→第二次大極殿(だいごくでん)遺跡→朱雀門(すざくもん)
→東院庭園→宮内省→遺構展示館→第一次大極殿復元現場


尚、朱雀門を遠望するだけで済ませると30分弱の時間短縮になります。
● 駐車場(4ヶ所)
   1.平城宮跡資料館前  2.朱雀門前  3.遺構展示館横  4.東院庭園前
東京から転勤して社宅が近鉄奈良線の沿線、毎週末、奈良市内をあちこち観光した。このとき、近鉄奈良線の窓から平城宮跡をよく見ていが、しばらくは「大きな原っぱがよく残っているな」と単純に感心していた。

この「原っぱ」を、奈良文化財研究所(旧奈良国立文化財研究所)が1954年以来50年間、今までに130haの平城宮跡のほぼ30%の発掘を進め、古代史研究上、多くの重要な成果をあげてきた。
この計算だと、全体の発掘を済ませるには、あと100年かかることになる。

これによって発掘された土器・瓦・木簡の他、奈良時代の歴史、平城京・平城宮の規模、治世などの概要が分かるようなパネル・資料・復元模型・発掘のジオラマ模型などが展示されている。
ここで、
平城京の知識を仕入れ、マップを貰ってから広大な平城京跡に出かけよう。

第二次大極殿跡
大極殿は天皇即位や元旦の朝賀、外国使節の謁見などに用いられた重要な宮殿で、平城宮には新旧2つがあった。

第二次大極殿は東の大極殿とも呼ばれ、第一次大極殿とともに奈良時代の国家的行事を行う場所だった。
現在東西46m、南北24km、高さ3mほどの堂々たる基壇が復元されていて、柱の跡には丸い石が縦列に埋め込まれている。(上の写真)
ここに立って四方を眺めると、往時の華麗な都が目に浮かんでくる。
2010年、再びここに建つと、前方に復元された巨大な朱色の第一次大極殿が見え、空想の一部が現実になるはずだ。。
朱雀門
平城京の入り口である羅城門をくぐると、幅75mの朱雀大路が北に向かって延び、その4km先には平城宮の正門である朱雀門が建っていた。
おそらく衛視が立つ厳重な警備で、庶民はこの門をくぐることはなかっただろう。
今はこの門の南側は渋滞する阪奈道路が、北側は近鉄奈良線が平城宮の中を東西に横切り、門はおろか、皇居(平城宮)内を自由に歩き回り、犬を連れて散歩したりすることができる。

朱雀門の前では外国使節の送迎を行ったり、時には大勢の人が集まって歌垣なども行われていたそうだ。
正月には天皇がこの門まで出向き、新年の祝辞することもあったようで、これが毎年元旦、現在の皇居で天皇陛下をはじめとする皇族方が謹賀のご挨拶することにつながっているのだろうか。

朱雀門の左右には高さ6mの築地がめぐり、130haの広さの宮城を取り囲んでいたが、この築地が全部復元されるのは、22世紀に入ってからだろう。


一番最初に復元された朱雀門。目の前の線路は近鉄奈良線、向こう側が阪奈道路。
東院庭園
ここが復元された遺跡の中で一番絵になる場所だ。一部に築地が建てられた広大な敷地に、複雑な形の池に清らかな水が満たされ、朱色の寺院風の建物や太鼓橋が水面に映る。これらは発掘で判明した事実に基づき忠実に復元されたのだろう。
池の周囲の土手には、握りこぶし大の石が積み上げられている。これは後世の池の様相とは大きく異なっている。


ここは、1967年、平城宮の東張り出し部の南東角に大きな池が発見され、この場所が「続日本紀」に記述されている「東院」に該当することから、「東院庭園」と名付けられたものだ。
東院では、宴会や儀式が行われたようで、それは、さぞかし華やかなものだっただろう。


ここは冒頭のスタート時点、平城宮跡資料館と対角線上にあって、一番遠い施設だ。
もし、車で来られていれば、庭園のすぐ近くに駐車場があるので、これを利用すると行程がかなり短縮できる。

石を敷き詰めた独特の池と朱塗りの建物。
発掘結果通りに復元した小川
池を跨ぐ太鼓橋
宮内省跡
厄除けのために屋根に置く鬼瓦
南九州・隼人族の盾。儀典の時にこれを持って儀杖兵の役を務めたという。
資料館
平城宮(一部)の模型
政や庶民の生活が分かる木簡
土器・埴輪
第二次大極殿跡
律令制は701年の大宝律令で集大成を迎え、天皇の下に二官八省の官制が敷かれた。
二官は「神祇官(朝廷の祭祀を担当)」と「太政官(国政を担当・太政大臣/左大臣・右大臣/大納言など)」の二つ。
八省は、中務省・式部省(一時文部省)・民部省・治部省・兵部省・刑部省・大蔵省・宮内省。

この内、内裏の東側にあって、天皇家のために仕事をした宮内省跡に、築地塀に囲まれて「正殿」「脇殿」「倉庫」などが復元されている。


現在は分割・統合などによりなくなっているが「大蔵省」「文部省」などの官制名が1300年後まで残存していたことがとても面白い。
宮内省復元
遺構展示館
平城宮の北東隅にあり、発掘調査で発見された遺構をそのまま見ることが出来る。
また、
第一次大極殿や内裏の復元模型が展示されている。
入場料は無料、休館日は月曜日・年末年始、見学時間は9時から16時30分(16時までに入館)。ここにも駐車場設けられている。
第一次大極殿
平城京の正門である羅城門と平城宮の正門である朱雀門を結ぶ朱雀大路の延長上、宮の中央に第一次大極殿が建てられていた。

大極殿は、天皇の即位や元日朝賀などの国家儀式、あるいは外国使節の歓迎の儀式がおこなわれたと想定されている。

平城宮には大極殿と想定される地区が、この他に東隣にもう一か所ある(上記)
このうち第一次大極殿地区は現在復元中で、平城遷都1300年となる2010年までに完成し、巨大な姿が披露される。

この日、建築現場前を通過し、巨大な覆屋を撮影した。
しかし帰宅後、当原稿作成中の下調べで、ここが見学できることが分かった。
30分足らずの距離なので、再訪しようと思っている。
(見学時間等は遺構展示館に同じ)
平城宮跡 (奈良市)
第二次大極殿後
発掘された姿のまま保存
内裏復元模型
柱跡などの遺構現場まで降りられる。
こうして30年前は、根気がいる発掘作業が黙々と行われているだけだった「原っぱ」に、次々と往時の建物が復元されてきて、従来の展示館と合わせてとても面白い遺跡になっています。

気候の良い時期、、半日をゆったりとここを散策されては如何でしょうか。

50年続けられている発掘作業
2006.1.28作成