●志賀直哉のプロフィール

武者小路実篤・有島武郎・倉田百三らとともに、大正デモクラシーを背景に理想主義・人道主義・個人主義をベースに作品を制作した文人集団「白樺派」の中心人物の一人。
無駄のない文章は小説の文体の理想と見なされ、小説の神様とも呼ばれた。代表作品には、「暗夜行路」「城崎にて」「清兵衛と瓢箪」「小僧の神様」など。
岩手県石巻出身 1883年生・1971年没


若かりし頃、文学青年とは行かずとも読書好きだった私は、この白樺派作家の作品を多く読んだ。
中でも、武者小路実篤の作品は読破、これに反し、志賀直哉の作品は、長編小説が暗夜行路だけで、他は短編小説ということもあって、あまり読んでおらず今日に至っている。
それでも枝葉を省き、研ぎ澄まされた文章は今でも印象に残っている。
●高畑大道町

志賀直哉は、大正14年に京都の山科から憧れていた奈良の借家に転居、昭和4年に自分が設計した数寄屋造りの自宅を高畑裏大道に建てて移り住んだ。
この一帯は、東は春日山の原始林、北には飛火野の緑の芝生が展開し、閑静な奈良の中でも特に風光明媚な屋敷町で、近くには新薬師寺や白毫寺などの古寺があって、多くの文人が住居を構えるようになり、また志賀直哉を慕って多くの人が訪れた。

さらに、ここは鎌倉時代から春日大社の神官の跡でもあり、白壁や崩れかけた土塀の風情に惹かれて、多くの画家も移り住んできた。現在、隣にある「たかばたけ茶論」の屋敷も画家・足立源一郎の自宅だった。
志賀直哉旧宅

志賀直哉旧宅は、時が止まったような高畑裏大道の一角にあり、国の登録有形文化財である。
少し手前には、同じく登録有形文化財である洋館(画家・小野洋一郎旧宅)がある。
この家は、志賀直哉の好みであった数奇屋造りに巧みな京都の大工が建築した。
石畳の小道を進んで、いったん玄関先の小窓で350円を支払ってから引き返し、右手の池を回って正面に向かう。

開口部からスリッパに履き替えて、内部に入る。
それぞれの部屋には「子どもの部屋」「夫人の居間」などの案内板が置いてある。
左手に進むと、広い洋風のサンルーム、その後に食堂・娯楽室がある。この二つの部屋が当時としてはハイカラなサロンとして使われ、多くの文人・画家が集まって、文学・芸術論を戦わしたに違いない。
文人集団「白樺派」の重鎮で奈良を愛した志賀直哉の旧宅。ここで長編小説「暗夜行路」の後半を書き上げた。登録有形文化財。
この他、2階を含めて書斎・茶室・客間などがあり、敷地435坪に134坪の建物、昔も今でも豪邸と呼んでいい広さだ。

白樺派の多くが学習院卒、良家出身者が多く、軍部を嫌った自由主義・個人主義の理想主義者の集まりだった。

そんな集団の主宰者だった志賀直哉の精神が、当時としては珍しい子ども達の個室、夫人の居間、それにこの洋風のサロンといった間取りに現れているように感じた。

尚、ここは現在「奈良文化女子短期大学セミナーハウス」の名目で維持管理されている。

さっそく同校のホームページで調べたところ、「昭和53年に当時の厚生省から譲渡され、その後、セミナーハウスとして利用を始め、一般にも公開した」と記載されていた。
住 所 奈良市高畑大道町
電 話 0742−26−6490
開館時間 12月〜2月 9時30分〜16時30分
3月から1月 9時30分〜17時30分
休館日 毎週木曜日(木曜が休日の場合は前日の水曜日)
入場料 350円
アクセス 市内循環バス破石(わりいし)町から東へ徒歩5分
志賀直哉旧宅 (奈良市)
時の流れが止まったような高畑・大道。この先右手に旧宅がある。
右手に志賀旧宅、左手にたかばたけ茶論
玄関に向かって進み、右手の小窓で料金を支払う。
サンルーム。文字通り明るい陽が差し込んでいた。
2006.1.26作成