器は大塩昭山・玉泉のもの

赤膚焼 (奈良市)

自宅から車で15分の距離に赤膚焼の窯元が4軒ある。赤膚焼を好む家内の母・妹とともに窯元を訪れた。

赤膚焼(あかはだやき)は奈良県奈良市と大和郡山市に窯場がある陶器である。

郡山藩主となった豊臣秀吉の弟・秀長が尾張の国・常滑の陶工を招い赤膚山で茶器を焼かせたのが始まりとされている。
赤膚焼の由来は、焼物が赤味を帯びていたため、または窯があった五条山の別名赤膚山に由来するという両説がある。

江戸時代後期には、名工・奥田木白が仁清写しの技術を駆使して広く世に知らしめ、赤膚焼中興の祖と尊ばれた。
小堀遠州が好んだ遠州七窯の一つにも数えられている。


鉄分を含んだ土を焼くためほんのりと赤い地肌をしていて、そこに乳白色の釉薬をかけ、奈良絵と呼ばれる絵付けを施したものがよく知られる。

この登り窯は現在使用していないそうだ。



●大塩正人窯 

奈良県奈良市赤膚町1051-2
電話 0742−45−4100

近鉄奈良線学園前駅南口から赤膚山行きで終点下車、バス停から少し戻って東へ向かうと五条山天神社の隣。
更に隣に「古瀬窯」がある。

奈良絵とは、釈迦の生涯を描いた過去現在因果経と絵因果経を手本にしたもので、上下2本の線の中に、人形・家・奈良の風景・鹿などの文様が描かれている。

一昔前は奈良絵が入った赤膚焼は少なかったが、最近の傾向として奈良絵が入った焼物の重要が高まってきている。
これに合わせて文様入りのものを多く作るようになった、と某窯元で話を聞いた。


現在、窯元は奈良市に4軒、大和郡山市に2軒ある。
奈良市には古瀬 堯三・大塩玉泉・大塩昭山・大塩正人の4窯があり、大和郡山市には、小川二楽・尾西楽斎の2窯がある。

同一敷地内に大塩玉泉の店もある。



●大塩昭山窯

奈良市中町4953
電話:0742−45−0408

バス停「近鉄学園前駅南口」から「赤膚山」行バスに乗車し、終点で下車し、バス停から少し戻って、西へ入る