ウワナベ古墳 (奈良市
一時、古代史に凝って、関連図書を50冊ほど読破、3世紀から奈良時代の8世紀に至るまでの古代ロマンを追いかけた。
また、参考図書を片手に、奈良県下の主な古墳をほとんど訪れたが、ウワナベ・コナベは家から比較的近いこともあって、真っ先に訪れた古墳だった。
全長が200m、300m、ときには400mを超える巨大古墳が幾つも築かれた時代がある。古墳時代である。
幅広く時代を取れば、3世紀から7世紀までである。
この期間に我が国で統一国家が成立し発展し、「古事記」「日本書紀」「風土記」が描いた時代だ。

大和朝廷、即ち天皇家の権力が形成されたのが4世紀のことと見る学説が有力だ。
この4世紀が「謎の4世紀」と言われる。

3世紀は、あの「魏志倭人伝」などの中国文献がある。そこには「卑弥呼」や「邪馬台国」が登場する。

5世紀には、同じく中国文献の「宋書」「梁書」があり、「倭の五王」の記述がある。

これに対し、4世紀にはいかなる文献がない。それゆえ謎の4世紀と呼ばれる。
こうした基礎知識を学んで、やがて、古代史の虜になっていく。
平城宮跡の北側一帯にある多くの大規模古墳群を総称して「佐紀盾列(たてなみ)古墳群」と呼ぶ。
西の神功皇后陵から東のウワナベ古墳まで、200m以上の全長を持つ七基の大型古墳とその陪塚である。

その中で、最も長いのが256mのウワナベ古墳で、数多い全国の古墳群で13番目に長い古墳である。

これらの古墳群は4〜5世紀の前期古墳と5〜6世紀の中期古墳に分かれるが、ウワナベ古墳は中期古墳と見られている。

因みに、200m以上の巨大古墳は35基あり、そのほとんどが大阪平野と奈良盆地に集中している。
一番大きな古墳は、堺市にある大山古墳(仁徳天皇陵)であり、全長が486mで、1日1000人が働いても、土の運搬だけで4年間かかったと推測される。
航空自衛隊幹部候補生学校前に建てられた道標
円筒埴輪が2万個を超えたと思われ、平面積はエジプト最大ピラミッドや始皇帝の墓を超える巨大さだ。

の日、私は法蓮町にある藤原業平ゆかりの不退寺を訪れ、その足で約1km離れたウワナベ古墳に向かった。

京都と和歌山市を繋ぐ幹線道路国道24号線沿い、満々と水をたたえる大きな周濠の中に、まるで島のようにウワナベ古墳が横たわっている。
その外には外堤が廻らされ、今は整備された遊歩道となっている。
昔はこの堤の外側にさらに濠が廻らされていたというから、その巨大さは想像に余りある。


この古墳は、天皇家にゆかりある陵墓参考地となっているため、発掘が許されず、建設時代や誰が埋葬されたのかは、謎のままになっている。

周囲を濠で守られたウワナベ古墳。この巨大さは写真では想像できない。
ウワナベ古墳の外堤から見るコナベ古墳。この向こうにはさらに5つの巨大古墳が横たわる。この一帯はハイキング・サイクリングのコースとして整備されている。