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湯上り処

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◆ 奥湯河原温泉に 投稿者:さすらい人  引用する 
 ご隠居さんへ
 少し暇になったので、家内と奥湯河原温泉の加満田に宿泊してきました。この宿は多くの文人水上勉や獅子文六などが泊まった宿です。自家源泉を2本持っていまして、昔でいう石膏泉です。すごく柔らかくて、これぞ温泉といった感じでした。
 昔、海石榴や山翠楼、藤田屋、青鸞荘などに泊まったことがありましたが、この宿は初めてでした。本当に奥まったところにあり、バスの転換点からさらに奥まったところにありました。
 木造の素敵な建物で、私たちはもくせいという部屋に案内されました。12畳と6畳の次の間、それに追い込みの3畳がついている部屋でした。ここの温泉は大浴場が2つ、貸切露天風呂が2つで、心から癒される感じでした。貸切露天風呂に入ると、十六夜の月が木の枝の間から見え、すこぶる風情のある湯あみとなりました。
 この宿の料理は、出汁に工夫の跡が見え、素晴らしいものでした。さらに、刺身はぴか一の素材で、久々に感動しました。
 写真は、貸切露天風呂、つつじの湯です。


2021/11/21(Sun) 22:38:48 [ No.13328 ]
◇ Re: 奥湯河原温泉に 投稿者:さすらい人  引用する 
ご隠居さんへ
 加満田の大浴場です。最少は女性しか入れず、午後10時以降に男性が入れるようになります。広々とした湯殿で、窓からは紅葉した木々が見れ、癒しの湯あみとなりました。


2021/11/21(Sun) 22:45:06 [ No.13329 ]
◇ Re: 奥湯河原温泉に 投稿者:奈良の隠居 ホームページ  引用する 
湯河原温泉は、文人墨客縁の宿が多いですね。
加満田はかまたと読むの今知りました。
薄らと記憶に在ったのは、一度だけ湯河原に泊った際、宿泊候補に上げてたからかも知れません。
HPも見ましたが、いかにも湯河原に相応しい雰囲気の宿ですね。

写真は宿泊した伊藤家。
まだ営業してるかな、と心配になりチェックしたら健在でした。
ここは島崎藤村がよく利用した宿ですが、
昭和11年2月26日、歴史上有名な2・26事件の際、宿泊中の牧野伸顕を
麻布第一連隊の兵士が襲撃した舞台にもなり、この際に別館が焼失したそうです。


2021/11/23(Tue) 23:29:55 [ No.13330 ]
◇ Re: 奥湯河原温泉に 投稿者:さすらい人  引用する 
ご隠居さんへ

 加満田の社長は、鎌田さんというのです。本田宗一郎さんが50周年記念日に祝福の手紙を送っておられました。玄関を入ったところに飾ってありました。
 この宿の手ぬぐいはカッパの絵が描かれています。それは清水崑さんが常宿にしておられたからです。
 写真は小さいほうの貸切露天です。


2021/11/25(Thu) 23:28:22 [ No.13331 ]
◇ Re: 奥湯河原温泉に 投稿者:奈良の隠居 ホームページ  引用する 
加満田も蒲田もかまた、満る田んぼとめでたい当て字なんでしょうか。

自分も三台続けて本田でした(シビック・アコード・オデッセイ)。
創業名社長の本田宗一郎の右腕だった名参謀 藤沢 武夫の名も覚えてます。
自分の退任をもって本田の退任を迫り、当時最高の引退劇とも評されました。

写真は、湯河原の一風景。


2021/11/27(Sat) 22:38:04 [ No.13332 ]

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