須賀谷温泉 (滋賀県)


有馬温泉の金泉を思わせる鉄分が酸化して赤茶色になった温泉。泉質は、宿ではヒドロ炭酸鉄泉と称しているが、正確には「含鉄ーカルシウム・マグネシウムー炭酸水素塩泉」で、口に含むと鉄味、肌触りはキュキュ感が強かった。

長浜(ながはま)市は、滋賀県北東部(湖北地方)に位置し、北は福井県、東は岐阜県に接している。
周囲は日本百名山の伊吹山系(最高峰1,377m)と琵琶湖に面している。
ラムサール条約の登録湿地である琵琶湖には、姉川・余呉川などの河川が流れ込み、水鳥が集う湖岸風景が広がる。

長浜市街は、羽柴秀吉が長浜城の城下町として整備されて以来、湖北地方の中心地である。
元々は「今浜」と呼ばれていたが、天正3年(1575年)頃に、豊臣秀吉が織田信長の「長」をとって長浜と改称した。

北国街道や中山道を結ぶ間道が通り、戦国時代を偲ばせる長浜城や小谷城跡、賤ヶ岳や姉川の古戦場、西国33箇所30番札所で日本三大弁才天の竹生島・宝厳寺(国宝)、都久夫須麻神社(国宝)、渡岸寺の国宝・十一面観音をはじめ、寺社仏閣の数は数え切れないほどある。
因みに、滋賀県は東京都・京都府・奈良県に次ぎ、国宝・重文点数が多い。
また長浜市の新興観光スポットである黒壁スクエアは、町興しの成功例として多くの観光客を呼び寄せている。

上記の通り、過去に2003年と2012年に入浴してる。このとき、10年前と比べ、建物も浴室も大きく変貌していたので驚いたものだ。それから再び10年後、おごと温泉にチェックイン前に3回目の入浴を果たした。今回は施設に大きな変化は無かったが、滋賀県は勿論、関西でもレアな濁り湯、かつ掛け流しの温泉も健在だった。
部屋数は19室(和室15 和洋室4) で全室バス・シャワートイレ付、宿泊料金は、平日2人1室1人19,000~28,000円前後だ。
じゃらんのクチコミ評価は、総合をはじめ6項目全てで4点を超えている。

各地の温泉の所縁には本当か?と笑ってしまうものが多いが、ここも浅井家との地縁から浅井長政やその妻、織田信長の妹のお市の方が入浴した温泉と称しており、それぞれの風呂に「長政の湯」「お市の湯」と名付けている。何れも大小の岩石を配置したそこそこ大きな立派な露天風呂がある

データ (変更されている可能性もあります。お出かけ前に宿のHPなどでご確認ください。) 
住 所 滋賀県長浜市須賀谷町36番地
電 話 0749-74-2235
交通機関 北陸自動車道長浜ICから県道37号線・国道365号線で約10km
JR北陸線河毛駅からタクシー約10分(宿泊の場合送迎有り)
施 設(日帰り) ロビー、食事処、喫茶、駐車場(約60台)
宿泊 19室(和室15 和洋室4) 全室バス・シャワートイレ付
宿泊料金 平日2人1室1人19,000~28,000円前後
最新詳細情報は宿のHP参照。
泉 質 含鉄ーカルシウム・マグネシウムー炭酸水素塩泉
宿の表示はハイドロ炭酸鉄泉 (源泉は無色透明、空気で酸化されて赤茶色になる)
適応症 不記載(理由は「温泉の基礎知識ー温泉の効能」参照)
入浴時間 当面の間、日帰り入浴は11時~15時まで(コロナ問題で)
定休日 無休
入浴料金 大人1,000円 
入浴施設 内湯男女各1、露天風呂男女各1  
浴室備品(日帰り) シャンプー、ボデイソープ、ドライヤー、ロッカー
観光スポット ・渡岸寺 十一面観音像(国宝)・観音寺・釈迦堂・石道寺
・孤蓬庵・・・枯山水、池泉回遊式庭園、小室城主で、日本三大茶人として名高い小堀遠州(1579~1647)の菩提を弔う寺として1653年に建立。
長浜黒壁スクエア
周辺に竹生島(宝厳寺/都久夫須麻神社)・彦根城・伊吹山
お土産・食事 土産・食事は当施設で可。また長浜に行けばバラエティに富んだ土産・食事が可能。
近くの温泉 長浜太閤温泉、尾上温泉、彦根千乃松原温泉、北近江温泉、マキノ白谷温泉
長浜市HP
観光協会HP
須賀谷温泉HP
https://www.city.nagahama.lg.jp/
https://kitabiwako.jp/
https://www.sugatani.co.jp/
雑記帳 小学校高学年から中学時代、講談社の講談本を読み漁った私にとって、織田信長・徳川家康(3万4千人)VS浅井長政・朝倉義景(1万8千人)の姉川の合戦は、信長配下の木之下藤吉郎(豊臣秀吉)も参戦しており、三英雄が揃った血湧き肉踊る大合戦であった。

また、この合戦後、戦国時代最大の悲劇の女性となったお市の方に哀れを覚えた。
織田信長の妹(他の説もあり)であるお市の方は、信長の意により近江小谷城主・浅井長政に嫁ぎ、長政との間に一男三女をもうけた。
しかし夫・長政と兄・信長との対立が激化し、天正元年、織田軍に攻められた長政は小谷城で自害、お市は娘たちとともに信長のもとに送り返された。

その後、本能寺の変で信長が没した後、柴田勝家に再嫁、しかし半年後、羽柴(豊臣)秀吉に越前北ノ庄城を攻められたとき、娘たちを逃した後、夫とともに自害した。

このときの戦地、同じ湖北の賊ケ岳で活躍した秀吉旗下の加藤清正、福島正則、片桐且元(長浜出身)他の七本槍にも心を躍らせた。

長女・茶々は秀吉の側室淀君、次女・於初は京極高次の正室、三女・於江(おごう)
は徳川秀忠の正室となった。
後、淀君は大阪城落城とともに命を絶っている。

講談本を読んでから50年後、須賀谷温泉の帰路、この一大戦国ドラマの縁の地、姉川の辺に立ったとき、歴史と時の流れに深い感慨を覚えた。

浅野長政とお市の方との3姉妹を描いた2011年度NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国」で沸いた滋賀県湖北地方。その舞台の一つである小谷城跡の南麓にあり、滋賀県唯一のかけ流しと温泉と言われる須賀谷(すがたに)温泉に約10年ぶりに訪れ(三回目)、鉄分が酸化して赤茶色となった掛け流しの温泉に浸かった。

黒壁ガラス館には手頃な値段のガラス食器・花瓶・装飾品などが所狭しと置かれている。娘・孫娘のためにアクセサリーを何点か購入した。

温泉名 : 須賀谷温泉

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所在地 : 長浜市須賀谷(すがたに)

黒壁スクエアの一角・黒壁ガラス館。周辺には小規模の美術館・博物館・旧家等の他、近江牛を食べさせる食事処や土産物屋も多い。

滋賀県には温泉が少ない。
その中にあって最も大きな雄琴(おごと)温泉は、立派な旅館が10軒ほどある。
しかし、如何せん、かっての風俗温泉地のイメージが我々の年代には残り、雄琴温泉に泊まって来た、と言ったら変に勘ぐられる恐れがある。
また我が家から近すぎるので宿泊の対象にはなっておらず、かって数少ない立寄り湯OKの湯元館で入浴したのみだった。今般、長年の経営努力が実ってイメージを一新し、温泉名をひら仮名に変えたおごと温泉に宿泊、琵琶湖の対岸にある須賀谷温泉を再訪した。

一方、須賀谷温泉は、小谷城跡の南麓にひっそり佇む同名の旅館が一軒のみの温泉である。

その小谷城は、戦国時代の武将「浅井長政」や「お市の方」の居城であったが、西暦1573年8月、織田信長軍の総攻撃によって落城し、現在はその跡を残すのみとなっている。

織田信長・徳川家康VS浅井長政・朝倉義景による歴史上有名な、姉川の合戦の古戦場跡もすぐ近くにある。

施設名 : 須賀谷温泉(初回入浴;2003年11月4日 2回目」入浴:2012年4月18日 3回目入浴:2020年9月28日)

施設名 : 須賀谷温泉 (入浴日:2003.11.4 2回目2012.4.18)

主浴槽は3mX2m程度、内湯から露天風呂が見える。日帰り入浴は積極的に受け入れてるが、コロナ問題があり、当面は11時~15時、大人1000円。

温泉は含鉄ーカルシウム・マグネシウムー炭酸水素塩泉、宿の表示はハイドロ炭酸鉄泉で源泉は無色透明、空気で鉄分が酸化されて赤茶色になる。関西では珍し濁り湯だ。

須賀谷温泉の一軒宿の館名は温泉名と同じ須賀谷温泉。

浴室入り口に掛けられていた暖簾は浅井長政の家紋三つ盛り亀甲に花菱」

折から桜が満開だった渡岸寺観音堂(向源寺)の国宝・十一面観世音を拝観。