《おいしい召し上がり方》 砂糖傳の広告から引用
(1)箸か、スプーンで、飴をすくい上げ、飴糸が切れるまで、よく巻きつけておあがりください。
コクのある、まろやかな味で、あなたの心まで和ませてくれます。
(2)咳が出るときは、生の大根を拍子木か輪切りにしたものを五〜六切れ小鉢に入れ、大さじ1杯位の米飴を大根にかぶせて一晩おくと、大根の成分が溶け込んだ米飴汁ができます。
これを飲むと不思議にのどがラクになります。
(3)米飴を熱湯に溶かして生姜の絞り汁を入れますと、おいしい飴湯ができます。
町名ではないが、猿沢の池の南側、元興寺旧境内一帯を「奈良町」という。
古代からの街道と近世以来の細い道が交わる町筋に、江戸から明治にかけての格子戸の町家が多く残り、小路に沿って神社仏閣・老舗の商家・レトロな食事/喫茶処、歴史を語るミュージアム等が点在している。
その奈良町、古代からの道筋「上ツ道」沿いの「砂糖傳」は、江戸末期に大和茶と炭の店して創業、その後、砂糖の商いに転じた。
今年(2006年)1月、奈良紹介のサイトを立ち上げるべく、初めて奈良町を時間をかけて歩いたが、そのとき見た一際風格ある店構えの商家が印象に残った。
黒塗り、格子戸、染め抜きの暖簾そして品格ある大きな看板には、昔風に右から「砂糖傳」と彫られていた。
ショーウインドーには、「御門米飴」と書かれた黒と赤の壷が置かれていた。多分水飴だろうと推測し、次回の帰京の際の土産にしようと心に決めた。
3月の某日、家内を連れて、再びここを訪れ店内に入った。
陳列されている商品を見ていると、店の奥から私より一回り上と思われる上品な婦人が出てこられた。
その方が奈良町の語り部・この店の常務である増尾正子さんだった。
増尾さんは商品について詳しく説明してくれた後、古代の上ッ道、江戸時代には上街道と呼ばれた店の前の細い道の一昔前の様子を語って下さった。
試食?した米飴は市販されている透明なやわらかな水飴とは異なり、きれいな琥珀色でトロリとしており、深みのある甘さだった。さっそく黒と赤の壷(中身は同じ)を土産に購入した。
以下、増尾さんの御門米飴についての一文を引用させていただく。
(引用開始)
昔の水飴は麦芽糖化による琥珀色の水飴が多かったが、米を原料として麦芽で糖化したものを米飴と呼び、最も上等で栄養もあると信じられていた。
今のように病人に点滴で栄養を与えることなどできなかった時代、食事を録ることのできない病人さんへのお見舞いとして米飴がよく使われた。
ところが、戦後ほとんどの水飴は、大量生産のできる、澱粉を酸で糖化した文字通り粘稠性のある水のような色の甘いだけのものになってしまった。
これでは水飴大根を作っても昔ほどの効能はないような気がすると思っている矢先、奈良でシルクロード博が開催されるにあたり、記念に昔ながらの米飴を復活させようと思い立った。
東大寺の清水公照長老に相談すると、「水飴は日本でも古来から神饌用として作られていたようであるが、おそらく往時はもっと原始的なものであったのを、奈良時代頃からシルクロードを通って優れた技法が入ってきたと思われる。
奈良の都には七つの御門があって、都に入るには必ずどれかの御門から入らなければならなかったから、商品名を『御門米飴』にしたら!」と命名してくださって、御門米飴という商標と、飴に対する思い出を書いてくださつた。
米飴は一休さんの頓智話じやないけれど、やはり壷に入れたほうがムードがあるので、壷に清水公照師の字を転写させていただいて砂糖傳増尾商店から売り出している。水飴大根の思い出から再現した商品である。
(引用終了)
米を原料として麦芽で糖化した「御門米飴」。文字は東大寺・長老 清水公照師の筆。壷はシュガーポット等に利用できる。
奈良町でも一際品格ある店構えの「砂糖傳」
奈良町の語り部・増尾正子さんは、マスコミにも度々登場の有名人。奈良町を記述した小誌などを沢山下さった。
背の低い特別なサトウキビから抽出・精製した幻の砂糖「和三盆」とこれを原料とした干菓子。それぞれ430円・560円で、これらも米飴と一緒に購入した。和三盆はメリケン粉のようになめらかで、なんとも上品で控えめな甘さだった。
150年の歴史を誇る砂糖一筋の老舗。米から作った琥珀色の水飴「御門米飴」は店の看板商品。奈良町の語り部・増尾正子さんのお話も伺えてとても嬉しかった。
店舗名 |
砂糖傳 |
住 所 |
奈良市元興寺町10 |
電 話 |
0742−26−2307 |
商 品 |
御門水飴・和三盆など |
営業時間 |
午前8時30分〜午後5時30分 |
定休日 |
無休 |
アクセス |
近鉄奈良駅から徒歩15分 |
作成 : 2006.03.11