箸墓古墳 (桜井市)
奈良市を起点とする国道169号線を南下し、天理市から桜井市へ進む道沿いに多数の古墳(群)が並んでいる。
特に天理市南端から桜井市に入ると、国道左手に巨大な前方後円墳が3つ現れてくる。
最初が第10代・崇仁(すじん)天皇陵(行燈塚古墳)、すぐに第12代・景行天皇陵(渋谷向山古墳)、そして最後に卑弥呼の墓とも伝えられる箸墓古墳が見えてくる。

崇神天皇陵は全長242m、日本武尊の父とされる景行天皇陵は300mもあり、日本の古墳の中でも7番目の大きさだ(一番は仁徳天皇陵で486m)。
古墳時代は、弥生時代に続く3世紀中頃から7世紀までの時代を指す。
箸墓古墳が造られたのは、最近の学説では3世紀中頃から後半と見られるようになり、古墳時代の初期に当る。

一方、我が国が歴史上登場するのは、3世紀末に書かれた中国の三国志・魏書東夷伝倭人の条(通称・魏志倭人伝)で、3世紀の日本列島と思われる倭国の模様や、邪馬台国の女王・卑弥呼が朝貢してきたことが記述されている。

その邪馬台国がどこにあったかは、江戸時代より論議され、近年は東大系が九州説、京大系が畿内・大和説を主張している。


これらのことから、畿内説の中には箸墓古墳を卑弥呼の墓とする学説もある。
全長280m、全国で11位の巨大古墳は、デジカメに収まらなかった。
日本書紀には、「是の墓は日は人作り、夜は神作る。故れ、大坂山の石を運びて造る・・・・・・」との記述がある。

この記述に相当すると言われる箸墓古墳は、現在、宮内庁により第七代孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫命大市墓(やまとととひももそひめのみことおおいちのはか)として管理されており、墳丘への自由な出入りはできない。


箸墓古墳は全長が280mで大和では第3位、全国でも11位の巨大前方後円墳である。
山麓に築かれた崇神天皇陵や景行天皇陵と違い、三輪山を背景とした平野部にあるので、より雄大かつ荘厳に見える。


その上、日本書紀の記述や卑弥呼の墓説のように古代史の謎とロマンのベールに包まれている神秘性が、その外の巨大古墳と違う特異性を示している。
日本書紀に登場し、卑弥呼の墓とも言われ、古代の謎とロマンに包まれた古墳だ。
箸墓古墳周辺は三輪素麺の産地だ。
日本最古の神社の大神神社(三輪明神)も近い。
所在地 奈良県桜井市箸中
アクセス JR桜井線巻向駅から徒歩10分
駐車場 周濠側道路に停車可能