快適な国道17号線を進むと人工湖の赤谷湖に到着する。湖底には猿ヶ京の前身の温泉と三国街道が沈んでいる。
2006年6月11日 (日曜日)
東京の実家を午前9時に出発し、練馬ICから関越自動車道に乗り月夜野ICで下り、国道17号線(三国街道)を北上する。
走行距離(片道)831km
東京の実家から奈良へ戻る途中、かねてから行きたかった新潟県の名湯・貝掛温泉と信州三大秘境の1つ秋山郷に泊まり、8ヶ所の温泉に宿泊・立ち寄った。
   貝掛温泉&秋山郷 2泊3日の旅
なるほど道幅はそんなに狭くないが、やはりあちらこちらで路肩が崩れ、落石があった。
もと来た国道405号線を戻るのは面白くない。宿の人に志賀高原に抜ける林道秋山線の状況を聞くと「今年は豪雪でつい先日開通したばかりです。道幅は国道より広いくらいですが、まだ修復が終わってなくて、路肩が崩れ落石が多いので注意してください。」と言われた。
思い切ってこのルートを利用することとし、再び切明温泉まで南下し林道に入った。
2006年6月13日 (日曜日)
奥志賀高原に入り、ホッとしてタバコ休憩。
奥志賀に近づくと風景が優しくなり、遅い新緑の木々が鮮やかだった。
旅の途中、必ず一回は立ち寄る農産物・果物直販所。新鮮で安い野菜などを買い込み、久しぶりの奈良の我が家に向かった。
中野市に出て、長野県勤務が長かった弟に教えられた農協の「オランチェ」に立ち寄る。
秋山郷の中で調達できる食材だけを使ったような低カロリーの夕食。
たくさんの山菜が中心で、蛋白質は岩魚と豆腐だけだった。
左:豪雪地帯らしく急勾配の屋根を持つ本家。

中:雪に耐えられる頑丈な吹き抜けの廊下。

右:囲炉裏が切られた分家。ロッジ風の広い間取り。
「のよさの里」の名称は、地元の古謡・のよさ節に由来する。
また「牧之の宿」は、その著「北国雪譜」によって、初めて秋山郷を世に紹介した江戸時代の文人・鈴木牧之に因んでいる。
「牧之(ぼくし)の宿」は、昔の秋山郷の暮らしと独特の文化を再現した村営の宿泊施設である。

この地方の民家をモチーフにし、独特の屋根と土間・座敷・内湯を持つ本館は「本家」と呼ばれ、ここで夕食・朝食を取る。

本家からは、豪雪にでも耐えられる屋根付・吹き抜けの頑丈な廊下が400mも延び、7軒の離れと露天風呂へと繋がっている。


「離れ」は分家と呼ばれるが、お互いの距離は30m〜40mあり、文字通りの離れである。
小石が敷き詰めてあり、足ツボマッサージが出来そうだ。
ここらは河原を掘ると温泉が湧き出てくる。写真は雄川閣の露天風呂。
村営の雄川閣特徴ある屋根は豪雪地帯のため,急勾配だ。
切明温泉(きりあけ)は、山郷の最深部、雑魚川と魚野川が合流して中津川となって北に流れ出す山峡にある。
ここに旅館が3軒もあるのが不思議なくらいの秘境だ。
雄川閣からのメッセージ
雄川閣からの名ばかりの国道405号線・・・。国道と言うより、山道を通って我が施設へ来ます。新潟県津南町大割野から、当館まで約33KMの道のり。道中、人家がなくなり不安な思いに駆られるかもしれません。しかも、山道ですので曲がりくねっており、初めて来られた方には、少々恐い思いをさせてしまうかもしれません。しかしながら此処は、山間僻地なのでお許しください。お越しの際は、くれぐれも安全運転でお越しください。
● 切明温泉・雄川閣 (長野県)
秋山郷に入ると常に右手に鳥甲山が見えていた。標高は2000m強に過ぎないが、豪雪地帯のため,、訪れた6月11日でもまだ残雪があった。険しい山稜は第二の谷川岳と言われている
秋山郷の新潟県側唯一の温泉「逆巻温泉川津屋」。
旅館は断崖上の狭い敷地一杯に建ち、国道からそれてそこへの最後の1kmは怖い道だった。洗濯物が干してあったが誰もおらず、入浴を断念して引き返した。
● 猿ヶ京温泉・猿ヶ京ホテル (群馬県)
猿ヶ京温泉は、谷川岳をはじめとする山々を背後に置き、赤谷湖を前に20軒弱の旅館・ホテルが点在している。
開湯は江戸時代初期だが、昭和33年のダム建設により当時の宿は湖底に沈み、その際、現在の国道17号線沿いに移り、温泉名も改められて猿ヶ京温泉となった。
猿ヶ京ホテルは温泉街の一番奥にあり、湖と道一筋隔てた小高い所にある。内湯は床も風呂も木造、端正な造りだ。内湯も露天風呂も掛け流しだ。
内湯から続く庭園式露天風呂は、屋根の付いた小さなものとかなり大きな露天風呂の2つがあり、温度に高低が設けられている。
日本温泉協会のかけ流しの証
国道17号線から反れて県道に入る。
●川古温泉・浜屋旅館 (群馬県)
川古温泉は猿ヶ京温泉の数キロ北、三国峠の東・谷川岳の南側に位置して、周囲は1000m〜2000m級の山々に囲まれている。
眼前に流れる赤谷川の河原の上の僅かな平地に、一軒宿の浜屋旅館がへばり付くようにして建っている。
周囲の山々、鬱蒼とした原始林の緑、赤谷川の渓流、人家がまったく見えない周囲の環境は、まさに秘湯の雰囲気だ。
露天風呂は大小の岩石で周囲を囲んだ凹凸のある構造。透明だが質感のある石膏泉の温(ぬる)湯には1時間でも浸かっていられる。
再び国道17号線に出て、新潟・群馬県境の三国峠を越える。
● 貝掛温泉・貝掛温泉館 (新潟県)
貝掛温泉は、標高800mの自然豊かな谷間にあり、開湯は約700年前と言われ、上杉謙信の隠し湯と称されてきた。
温泉は、江戸時代から眼病に効くと言われ、昭和初期までは目薬として発売されていたそうだ。

早い時期から行きたいと思っていた温泉、念願かなってようやくやって来たが、期待通りの名湯だった。
旅館の横には、清津川に注ぐカッサ川が流れ、奥には高い堰から流れ落ちる見事な滝があった。
三国峠を越えてさらに国道17号線を北上する。新潟県に入って20分ほど、大きな川幅の清津川を跨ぐ欄干の無い橋を渡りきると、貝塚温泉館が正面に見えてきた。ここは日本秘湯を守る会加盟旅館。
内湯は湯船が2つ、大きい方には泉温36度のまろやかな源泉が加水・加温無しで注がれている。この温さが絶妙、なんとも心地よい。
温泉は、露天風呂の脇にある源泉から生まれたままで注がれ、気泡が体にまとわりついてくる。これまで入浴した温泉の中でも三指に入るやわらかな泉質だった。
2006年6月12日 (月曜日)
この日は信州の秘境・秋山郷に向かう。途中、川端康成の「雪国」の舞台として知られる越後湯沢温泉に立ち寄った。
● 越後湯沢温泉・湯元共同浴場山の湯
雪国の宿 高半。川端康成はここに滞在して、名作・雪国を執筆した。
山の湯のそばなので寄ってみたが、近代的な大型旅館になっていた。
風呂には透明で柔らかな感触の単純硫黄泉が、加温・加水無しの掛け流しで注がれていた。
秋山郷
越後湯沢から国道17・353・117号線と乗り換え、豪雪地帯で知られる津南町から、35kmほど先で途切れる国道405号線で南下、秋山郷に入った。
秋山郷を擁する栄村は長野県の最北端に位置し、北で新潟県・東南で群馬県に接している。
村の東には、日本百名山の苗場山(2,145m)、西には急峻な鳥甲山(2,038m)が聳えている。

豪雪で知られた津南町から国道405号線で、中津川沿いに南下すると苗場・鳥甲両山の山裾に抱かれた秘境・秋山郷に入る。

東西への道は無く、か細い国道を南へ35km走り、これが途切れる切明で林道秋山線に繋がって志賀高原に出られる(冬季閉鎖)。

秋山郷には、中津川の下流から「逆巻(さかさまき)」「小赤沢(こあかざわ)」「屋敷」「上野原(うえのはら)」「和山(わやま)」「切明(きりあけ)」と6つの温泉が点在する。

● 小赤沢温泉・楽養舘 (長野県)
小赤沢は新潟県から長野県に入ってすぐ、苗場山登山口に旅館1軒・民宿8軒があるが、温泉が引かれているのは公共の日帰り施設だけだ。

その施設・楽養館は、国道405号線から少し上がった、秋山郷では珍しく開けた所にあり、2つの木造の建物から成っている。
一つは食事と休憩が出来る棟、もう一つは温泉棟である。
,小赤沢付近の風景
国道405号線が途切れる切明まで南下する。道の状況は思ったより良い。右に見えていた鳥甲山も見えなくなり、周囲は人家が全く無くなる。
切明温泉から引き返し和山温泉に向かう。道は狭いが対向車が無いので何の心配も無い。
河原の石を拾って置いたような素朴な露天風呂だが、かえって周囲の自然に溶け込んでいる。前方の湯船のほうが温い。眺望が素晴らしい。
秘湯の宿らしい素朴な佇まい。1982年の夏に、皇太子浩宮殿下がここに宿泊した際の写真が掛けられていた。
和山温泉は最深部の切明温泉の手前、国道沿いの和山の集落から、7軒ほどある民宿を左右に見ながら少し下った中津川の河畔に一軒宿の仁成館がある。
前方には、秋山郷のシンボルである鳥甲山が聳え、眼下には中津川に落ち込むむき出しの絶壁が見える。
まさに秘湯と呼ばれるに相応しいロケーションだ。
● 和山温泉・仁成館 (長野県)
今日だけで4ヶ所の立ち寄り湯を済ませ、今夜の宿泊地「のよさの里 牧之の宿」に向かう。
● 上野原温泉・のよさの里 牧之の宿 (長野県)
虹鱒のお造りなど
食感がパリパリして洗練された山菜のサラダ
岩魚の塩焼き
国道から離れ、秘湯・川古温泉に向かう。
前方に鳥甲(とりかぶと)山が見えてくる。
強烈な赤茶色の内湯。
だいぶ傷んだ温泉棟
食事処での昼食
志賀高原でティータイム。たった1時間のドライブだったが、タイムスリップして現代に戻った気分になった。