山代温泉 吉田屋 山王閣 (石川県)

温泉街の中心から少し離れている。

共同浴場を囲んで老舗旅館が並ぶ「湯の曲輪(ゆのがわ)」。その中心にある古総湯

内湯から続く露天風呂。宿のHPでは、こちらはかけ流しとなっている。

広いロビーにはクラシックなソファが置かれている。

昔の旅館では必需品だった卓球台が健在。

浴室前の広いスペース。湯上り処には冷水が置かれている。

温泉名 : 山代温泉

山代温泉の「九谷焼の店 朝日屋」で九谷焼の小皿やマグカップを購入した。

一部

2つの共同浴場とそれを囲む老舗旅館が立ち並ぶ「湯の曲輪」の背後の丘の反対側にある吉田屋 山王閣は、老舗旅館の2館の流れを受け継いでいるようだ。

部屋数が45室で中規模、客室は10畳以上で全室BT(シャワー)付で露天風呂付きも5室ある。
館内のパブリックスペースからの印象では、リニューアルの時期が来ている様に思えるが、このためか、じゃらんのクチコミ評価では、総合が4.2だが、部屋が3.7、清潔感が3.7とやや低めになっている。
料金は2人1室平日で、12000円程度からだが、最新・詳細情報は宿のHPを参照されたく。

風呂は、大浴場とそれに付属する露天風呂が2ヶ所あり、宿泊の場合は男女が交代する(他に有料貸切風呂有り)。
日帰り入浴は14時〜20時、大人1500円でバスタオル(返却)・浴用タオル(持ち帰り可)が付く(混雑時は入浴不可になるので要確認)。

加賀温泉郷中、最大の山代温泉。温泉街の中心である湯の曲輪(ゆのがわ)から少し離れた場所に在り、2軒の老舗旅館(吉田屋・くらや)の流れを受け継いでいる吉田屋 山王閣に立ち寄った。日帰り入浴にもかかわらず、スタッフの応対は丁寧で感激した。

データ (変更されている可能性もあります。お出かけ前にご確認ください。)
住 所 石川県加賀市山代温泉13−1
電 話 0761−77−1001
交通機関 北陸自動車道加賀ICから県道20号線・39号線等で約10km
JR北陸温泉加賀温泉駅から送迎有りまたはタクシー
日帰り施設 湯上り処、売店、駐車場
宿 泊 45室(和室10畳以上 全室BT付き 露天風呂付き客室5)
泉 質 ナトリウム・カルシウムー硫酸塩・塩化物温泉 (旧称:含石膏・食塩・芒硝泉)
適応症 不記載(理由は「温泉の基礎知識ー温泉の効能」参照)
日帰り入浴時間 14時〜20時(現地で確認していない)
混雑時は入浴不可になるので要確認)
入浴料金 大人1500円
入浴施設 内湯2 露天風呂2 (宿泊者は男女交代なのですべての浴槽で入浴出来る)貸切風呂(有料)
観光スポット 九谷焼窯跡展示館、魯山人寓居跡 いろは草庵、はづちを楽堂、森光子一座記念館、大聖寺、橋立、動橋、石川県九谷焼美術館、東尋坊、丸岡城、永平寺、松井秀喜ベースボールミュージアム、金沢市、能登半島
お土産・食事 土産・食事とも温泉街に多数。
近くの温泉 山中温泉、片山津温泉・粟津温泉・芦原温泉三国温泉佐野温泉
加賀市HP
観光協会HP

旅館組合
吉田屋HP
http://www.city.kaga.ishikawa.jp/
http://www.yamashiro-map.info/
http://www.yamashiro-spa.or.jp/

http://www.sannoukaku.com/

山代・山中・片山津・粟津の4温泉を総称して加賀温泉郷と呼び、前の3つは加賀市にあり、最も歴史が古い粟津温泉が小松市にある。

最も大きいのが、加賀市内陸部の田園地帯、江戸時代からの歴史を有する共同浴場を囲むようにして、大小の旅館・ホテル群が立ち並ぶ山代温泉で、現在19館の旅館ホテルが営業している。
近年になって従来の共同浴場「山代温泉浴殿」が取り壊され、あらたに総湯と明治時代の総湯を復元した古総湯が相次いで建設された。

大聖寺川の中流にある鶴仙渓沿いの狭い地域にある山中温泉が、その狭さ故に大型化が難しかったのに対し、山代と片山津は平野部にあるので宿・ホテルの大型化が進み、100室、200室の客室を持つ旅館が次々と現れた。

バブル崩壊後、一挙に不況が押し寄せ、大型旅館・ホテルの倒産、他県資本の企業グループ傘下に吸収された。
最近では、創業100年の歴史を有し、200室の客室を持つ山代温泉のホテル百万石が2012年9月に倒産している。

20人位入れそうな大きな浴槽。泉質は、ナトリウム・カルシウムー硫酸塩・塩化物温泉で、キュキュ感有り。

所在地 : 加賀市山代温泉

2005年10月に山中町と合併して市域を広げた人口7万人余の加賀市は、石川県の南西に位置して南部で福井県と接している。

歴史的に見ると、豊臣秀吉の盟友、「槍の又左」こと前田利家を始祖とする加賀藩(加賀・越中・能登)は、二代・前田利長の時代に、徳川家康の度々の干渉を乗り切り、幕末まで120万石を維持した。三代・利常は、寛永16年(1639年)、次男利次に富山10万石、三男利治に大聖寺7万石を分封した。

加賀藩前田家の歴代藩主は美術工芸を愛し、これの振興・育成に努めたが、支藩となった大聖寺の歴代の藩主も同様だった。
初代藩主・利治は、領内の九谷村に陶石が見つかったのを機に、この地で磁器の窯を開かせた。
九谷焼(古九谷焼)の始まりである。
加賀市はこの大聖寺藩の城下町であり、石川県の最南端にあって東南部の山地を背に日本海に面し、北前船の基地としても栄えた。

施設名 : 吉田屋 山王閣 (入浴日:2014.3.24)