半身浴で入浴して撮影したらこの写真になった。
立って歩いても頭がぶつかるわけではないが、なんとなくかがんで移動する、
奥に渡された板はここに座って体を冷ますためのものだろう。湯はやや温め、緑がかった茶色、これで単純泉(湯屋に表示)とは信じられない。鼻の利きが悪いので分からなかったが、
微硫黄臭と書かれた人もあった。口に含むとやや金気が感じられた。鉄分を含むのだろう。
風呂は2mx4m程度、温泉の凝固作用で出来たという岩窟は荒々しく、苔か含有成分のせいだろうか緑色の部分もあって、全体がじめじめしている。冬は湯気で撮影が出来ないだろう。因みにフラッシュを点けて撮影したら湯気で真っ白になった。
データは変更されている可能性もあります。お出かけ前にご確認ください。
所在地 : 松本市安曇
温泉名 : 中の湯温泉
施設名 : ト伝の湯 (入浴日:2006.9.15)
中の湯温泉・ト伝の湯 (長野県)
中の湯温泉旅館」参照
中の湯温泉が所在していた旧安曇村には、北アルプスの名峰である槍ヶ岳・穂高岳・乗鞍岳が聳え、日本を代表する景勝地・上高地、名湯の白骨温泉などの観光スポットを有していた。
しかし、2005年4月に松本市と合併し村は消滅した。

「安曇」は、古代史を齧った人には馴染みある名称だ。
渡来人とも言われる海人の安曇族が、なぜ山深いこの地に移り住んだのか、穂高(神社)はその安曇族の祭神なのか・・・。

富山市の安住は、安曇族が住んでいたと言われる。
それなら今人気の安住神一郎さんの先祖は安曇族なのか(笑)、古代史のロマンは尽きない。

土地の名前は歴史の化石といわれるが、市町村合併によって歴史ある名前が消えるのは寂しいことだ。
(話が反れましたm(_ _;)m)。
穂高の山々
住 所 長野県松本市安曇中の湯
電 話 0263−95−2407(中の湯温泉旅館)
交通機関 (東京から)長野自動車道松本ICから国道158号線等で約45km
(大阪から)東海北陸道飛騨清美ICから(高山経由)国道158号線等で約80km
松電新島々駅から松電バス上高地行きバスで1時間中の湯下車

中の湯温泉旅館に宿泊の場合はト伝の湯のまで無料送迎
施 設(日帰り) 何も無し
宿 泊 中の湯温泉旅館
泉 質 単純泉(微黄白濁、鉄味、微炭酸味、40.6℃)
適応症 不記載(理由は「温泉の基礎知識ー温泉の効能」参照)
入浴時間
(立ち寄り)
8時〜18時 (確認を忘れたので間違っているかもしれないので、入浴の際は事前に中の湯温泉旅館に確認ください。)
定休日 不定休
入浴料金 700円(宿泊の場合は無料)
入浴施設 混浴岩窟風呂1
浴室備品
何も無し
観光スポット 上高地、乗鞍高原、乗鞍岳(乗鞍スカイライン)、奥飛騨、高山、松本
お土産・食事 土産・食事はさわんど温泉・平湯温泉付近で可能
中の湯温泉旅館で手打ち蕎麦(12時〜14時)
近くの温泉 坂巻温泉、さわんど温泉、乗鞍高原温泉、奥飛騨温泉郷(平湯福地・新平湯・焼岳・栃尾・新穂高、上高地温泉
松本市HP
上高地HP

中の湯HP
http://www.city.matsumoto.nagano.jp/
http://www.kamikochi.or.jp/
http://www.mcci.or.jp/www/nakanoyu/arrange.htm
雑記帳 ここは4〜5人が一度に入れる大きさなので、家族連れでワイワイ騒ぎながら入浴するのも楽しいだろう。
ト伝の湯の前に「中の湯温泉」とつけるべきなのか迷った。
旅館とト伝の湯は距離的に離れているし、その上、旅館の源泉とは別である。。
しかし、いままで400湯近くを「所在地」「温泉名」「施設名」に区分して記述してるので、温泉名無しで施設名だけを記事にするのが落ち着かない。
そこで、ト伝の湯を所有しているのが中の湯温泉旅館であることから、中の湯温泉の一施設とするのは妥当と判断して分けて記述することにした。

中の湯温泉(旅館)は、安房トンネルの建設に伴い、それまであった国道158号線沿い、釜トンネルの入口、梓川沿いの崖下の地から2kmほど離れた旧道沿い、標高1500mの場所に移転した。
今も中の湯温泉旅館の売店が釜トンネル手前にあり、ト伝の湯もすぐそこにあるのもその名残だ。

これまで5、6回走った国道158号線だが、ト伝の湯直前は、上高地への県道との分岐点でその先に釜トンネルが見え、一方、国道は大きく左折(松本側から)するので運転に忙しい。
そんなわけで、ト伝の湯はずっと見落としていた。
場所を確認したのは、前回、宿泊した福地温泉から東京に向かう途中だった。

写真上:ト伝の湯直前の国道158号線と梓川。前方が松本市方面。
写真下:道幅が急に広がり、正面に上高地への県道と釜トンネルが見えると、国道158号線が大きく左へ曲がる。曲がりきって、橋を渡った直後右手にト伝の湯がある。写真前方左手に中の湯の売店が見える。
(ト伝の湯前で撮影)
上高地に近い中の湯温泉旅館に宿泊した。その最大の目的は、ここが所有する岩窟風呂「ト伝(ぼくでん)の湯」に入浴することだった。
塚原ト伝
剣聖・上泉伊勢守をはじめ、柳生石舟斎、富田勢源、塚原ト伝、伊藤一刀斎、宮本武蔵……。
戦国の中で、剣一筋に生きた剣豪たちだ。
中学生の時、講談社の粗悪な紙の分厚い講談本に夢中になって、彼らの虚実取り混ぜた活躍に胸躍らせたものだ。

塚原 卜伝(つかはらぼくでん)、本名塚原高幹(延徳元年・1489年) - 元亀2年・1571)は、戦国時代の剣豪。
天真正伝香取神道流の流れを引く新当流(鹿島新当流)の開祖である。
39度の合戦、19度の真剣勝負に望みながら、一度も負傷しなかったと伝えられている。

知名度では、二刀流で有名な二天一流の開祖・宮本武蔵に譲るが、講談の中では、教えを受けようとして斬りかかる若き武蔵の剣を、座ったまま竹火箸で払い、渾身の一刀を鍋蓋で受け止め武蔵を昏倒させている。もちろんこのエピソードは創作(武蔵が生まれたのは卜伝の没後)だが、剣士としての実力を窺わせるフィクションだ。
「ト伝(ぼくでん)の湯」のことを知ったのは、そんな昔のことではない。
面白い風呂があるな、と思って所在を調べたら、既に何回となく走った国道158号線の岐阜県と長野県の県境近くだった。
通過していた無念を晴らすため、今回の帰京途中に、ト伝の湯を有する中の湯温泉旅館に宿泊することにした。
早めのチェックインの際、これからト伝の湯に入りたい、と申し出たら、すぐに送ります、ということになった。

家内をフロントに残してチェックインを頼み、例によってタオル・カメラ・メモ帳の三種の神器だけを持って、宿のマイクロバスに乗車した。宿泊者は、無料送迎・無料入浴になるのだ。

先ほど登ってきた旧道を下ること7〜8分、国道158線に出て梓川を跨ぐ橋を渡り、上高地への分岐点にある旅館の売店で車を降りた。
売店の管理人さんからカギが渡され、「入ったらドアをロックして」と言われた。
1人だろうがグループだろうが貸しきりになるのだ。

立ち寄り湯の場合も、ここに立ち寄って入浴を申し出るのだが、1人700円で30分が目安らしい。
立ち寄り湯のとき、問題になるのが車を停める場所だ。
マイクロバスの宿の人に聞いたら、ト伝の湯近くの国道がふくらんでいる場所と売店右側とで2台分です、と教えてくれた。

売店から橋を渡って梓川の左側にある小さな湯小屋に向かう。表には白い文字で「ト伝の湯」と表示されている。

ト伝の湯、言うまでもなく宮本武蔵との鍋蓋試合で有名な剣豪・塚原ト伝に因んだものだ。
中の湯温泉旅館の初代が名付け親らしいが、講談がお好きだったのだろう。
別にト伝がここの風呂で入浴したわけではない。
荒削りの木造の小さな床があり、桶が2個置いてあった。
緑色の滑り止めのマットが敷かれた7,8段の階段を下りる。右手に窓があり、梓川の急流が音を立てて流れているのが見える。ここが唯一の明り取りだ。
ロックして入った狭い空間が脱衣場。服を脱いで中の扉を開く。
大変嬉しい入浴だった.。
しかし別に恐いわけではないが、1人で入浴しているとなんとなく孤独感を味わう風呂だった。
外側階段から外光が入ってくるので真っ暗ではないが、閉所恐怖症の方にはあまりお勧めはできないだろう。
奥からも撮影。家内を待たせていないので、私としては長風呂だったが、それでも入浴時間は30分をはるかに割っていた。
一番奥に小さな洞窟があって、そこから水が流れ出ていた。温かくなかったので地下水なのだろう。