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のどかな九重連山の南麓風景
2005年4月、近隣の直入郡 荻町・久住町・直入町と合併し、市域を大きく広げた竹田市は大分県の南西部に位置し、九重連山・阿蘇外輪山・祖母山麓に囲まれた標高300m〜1000mに及ぶ高原である。
竹田市の市街はもともと城下町であり、武家屋敷や廃城となった岡城跡が往時の面影を残している。
この地で多感な少年時代を過ごし、城跡で遊んだ滝廉太郎が、後に名曲「荒城の月」を作詞した(作曲は土井晩翠)。
奥豊後と呼ばれるこの一帯は、名水の里としても有名で、祖母、久住、阿蘇山系に染み込んだ伏流水が、市域のいたるところで湧き出している。その代表例が名水100選の竹田湧水群である。
久住町は竹田市の北西部、九重連山の南麓に広がり、5月下旬から6月中旬にかけてミヤマキリシマ(国指定天然記念物)が山々をピンクに染める。
竹田市の北東に位置する直入町には、今や別府・湯布院・黒川に次ぐ九州第4の温泉地と持て囃される長湯温泉が湯煙を上げている。
その長湯温泉から西へ5km、九重連峰の南麓のなだらかな丘陵地帯に、近年、温泉通の間で人気を呼んでいる七里田温泉の共同浴場がある。
遅くとも鎌倉時代から利用されていた温泉場だが、江戸時代には岡城主三代目中川久清は、寛文三年(1663年)にお茶屋を建て、湯守を置いて湯治などにつかっていた記録が残っている。
明治時代には、神の湯・御殿湯・上の湯・下の湯・新湯など多くの共同浴場があったようだが、今日は僅かに下ん湯がその名残りを今に留めている。
現在の七里田泉は、民宿程度の旅館が2、3軒と日帰り温泉だけのごく小さな温泉で、普通の温泉ガイドブックには掲載されていない。
この日、前日宿泊した別府・鉄輪温泉神和苑を発って県道52号線で城島高原を通過し、その後県道30号線で更に南下、長湯温泉の横を通り過ぎて七里田温泉にやって来た。
七里田温泉館木乃葉の湯に午前11時到着。
別府鉄輪温泉神和苑を午前9時に出発。
この道は2年前の第1回九州周遊の際も走った馴染みの高原道路だ。
やまなみハイウエィのような華やかな風景ではないが、のどかな山里を縫い、春到来を知らせる花々が目を楽しませてくれた。
体に泡がまとわりつく温泉としては長湯温泉ラムネ温泉が有名だが、ここが真っ青になる脅威のラムネ温泉に立ち寄った。第2回九州温泉旅で入浴した27湯のフィナーレを飾る素晴らしい温泉だ。
(日帰り)温泉ガイドブックには紹介されていない下ん湯を知ったのは、福岡在住で温泉サイト仲間・プースケさんのご紹介によってだった。
前回の九州温泉旅では立ち寄っただけの長湯温泉だったが、今回は宿泊することにした。その際、すぐ近くの七里田温泉、それも現在の日帰り入浴施設「七里田温泉館木乃葉の湯」がオープンする前はジモセン(地元住民専用共同浴場)であった下ん湯に立ち寄ることも決めていた。
ここに入浴するためには、先ず上記の七里田温泉館の受付に出向き、300円を支払って建物のカギを渡してもらう。
受付の人からは「入るときも出るときもカギを閉めてください」と注意を受けた。
七里田温泉館を背に川沿い、左側の道を100mほど下った先に下ん湯がある。
素っ気無いコンクリートの建物は雨露に打たれて黒ずんでいて、最近打ち付けられた真新しい「日本無類の炭酸泉」の看板が、逆にその古さを際立たせている。
下湯への道。 因みに七里田の名前は、竹田市の岡城から7里の距離にあり米の産地だったことに由来している。
川沿いにある下湯の老朽化した建物は20年以上前に建てられたもので、ジモ専の時代、2階は休憩所として使用されていた。これだけ新しい「日本無類の炭酸泉」の看板に嘘偽りは無い。
これまで見たことの無い古びた脱衣場から浴室に入ると、畳2枚程度の風呂がある(男女別)。
床も風呂も温泉成分が分厚く付着して赤茶けており、温泉マニアなら間違いなく感涙する浴室風景だ。
先客が3人いたので、空いていた片隅にそっと身を沈める。
とたんに初体験のシュワー感が体を襲い、まるでラムネの風呂に入ったような気分、あっという間に気泡が全身にまとわり付いた。
目の前の湯面にはシャボン玉のような湯玉が次から次と浮かんでくる。
おそるべき炭酸泉の威力に思わず声を出して「すげぇ」と感嘆してしまった。
以前、ジモセンの時代に一酸化炭素により死亡者で出たと聞いていたが、これも納得できる凄さだ。
現在は換気扇が設置されているが、入浴の際に換気に注意するよう警告書が貼られている。
床・風呂が温泉成分の堆積物で被われ、元の素材が何だか分からない(プースケさんから頂いた写真)。ガスが重くて下に沈殿するので換気扇が床のすぐ上に設置されている。
口に含むと炭酸と金気味。泉質は「カルシウム・ナトリウム・マグネシウムー炭酸水素塩・硫酸塩泉。旧温泉名でいくと「重炭酸土類泉」「正苦味泉・芒硝泉・石膏泉」等に該当するが、どれが妥当か不詳。
入浴直後の泡付き状態、なんとも嬉しい風景だ。この上から文字を書くことも可能だ。
プースケさんから頂いた写真..。他サイトで「ピンポン玉のような大きな気泡がブクブク湧き出ていた」と書かれていたが、これが裏付けられる凄い写真だ。
炭酸泉はその性質上、40℃を超えると炭酸の含有量が著しく減少する。
ここも源泉温度が37℃前後、人肌程度の温さで温(ぬる)湯好きにはたまらなくうれしい。
しかし、冬は風呂から出にくくなるだろう。
温泉はもともとは透明だが、風呂の湯の一部が左の写真のように黄土色に見えた。
これは湯の成分の中に含まれる鉄分やカルシューム分などの成分が空気に触れ結晶状に固まったものだだそうだ。
老朽化が進み、死亡者も出て一時は閉鎖することが検討された共同浴場だが、今でも地元の人が毎日清掃し維持管理をして、外来者が入浴できるようになっている。
私が関西から出かけるくらいなので、土・日・祭日の混み具合は相当なもので、長時間待たされることが多いようだ(それに温いの長時間入浴する人が多い)。
施設の名称について。
現地で「ラムネの湯」という看板を見かけたが、これは外からの入浴者のために、温泉の性質を分かってもらい親しんでもらうために付けたもので、地元では「下湯」又は「下ん湯(したんゆ)」と呼ばれている。(地元の方が書いた記事に拠る)
同じ大分県の湯布院温泉にある共同浴場の名前も「下ん湯(したんゆ)」呼ばれている。
これは、大分のみならず九州では「下の湯」の「の」が「ん」と発音されることが多いため、とのことだ。(当サイト読者で九州ご出身者の方からの情報)。
タイトルを「下湯」と書くべきか「下ん湯」あるいは「下の湯」とすべきか迷った。
上記の「七里田温泉館木乃葉の湯」のホームページには「下湯」、同パンフレットでは「下ん湯」とあり統一されていないのだ。
最後に、恐らく地元で発音されているであろう「下ん湯」を採用した。
「下ん湯」と「ラムネ温泉」の名称がある案内板。
プースケさん(左)
謝辞
この記事を以って第2回九州の旅(9泊10日)、全28湯(一部中国地方)の記事を完了しました。2007年4月の旅行なので、全部を掲載するまでに1年以上を要したことになります。
この旅のプランニングに当たっては、福岡在住の温泉サイト仲間・プースケさんから頂いたアドバイス・情報を全面的に参考にさせて頂きました。プースケさんのご協力のお陰で、第1回九州旅行より遥かに充実した、思いで深い旅となりました。ここに改めて深く感謝申し上げます。
尚、ここ七里田温泉下ん湯に入浴後、黒川温泉・旅館山河に向かい、プースケさんとご一緒に昼食を共にし、楽しい温泉談義に花を咲かせました。
炭酸泉特有の温さが心地よく必然的に長湯となる。
黄土色に見える湯面