2011.5.7UP

島根県の秘湯2泊3日1人旅

小屋原温泉 熊谷旅館

三瓶温泉湯元旅館

古代出雲歴史博物館に立ち寄る(写真左)。古代にあって大和と並ぶ2大勢力だった出雲。

しかし、やがてはヤマト王権に下ることとなり、それが有名な国譲り神話として『日本書紀』などに記されたと考えられる。


一時は古代史趣味に、のめり込んでいたので、以前から観たかった古代出雲歴史博物館を訪れた。

出雲大社境内から平成12年に発見された「宇豆柱(うづばしら)」が展示してあった。
杉の大木3本を1組にして、直径3mの巨大な柱が出来あがっている。

2010.4.18~4.20 走行距離:950km

初めての一人旅、湯抱温泉など予定してい温泉に入浴出来ないケースもあったが、先ずは満足できる秘湯巡りとなった。

温泉成分が厚く堆積した美しい4つの貸切風呂に、大分県の長湯温泉や七里田温泉と並ぶ温い泡付き炭酸泉が掛け流しで注がれる。温泉好きには鳥肌が立つたまらない風景だ。

出雲湯村温泉 (島根県)

● 古代出雲歴史博物館

千原温泉へ

共同浴場2か所もあるが、小原屋温泉が気になって、先にそちらへ向かうことにした。


これまで宿泊を伴う温泉巡りは常に家内と一緒だったが、今回初の一人旅。
目的地は兼ねてから狙っていた島根県の秘湯とし、シャワー付きトイレといった宿選びのの条件が不要なので、宿泊料金が安く、かつ風呂が掛け流しの宿を探して予約を入れた。

奥津温泉

3日目

三瓶山は出雲と石見を分ける国境の山。標高1126mの男三瓶を中心に女三瓶、子三瓶、孫三瓶など6つの山が環状に連なっていて、山麓には上の写真の様ななだらかな高原が広がっている。

三瓶温泉は孫三瓶の南麓、標高500mの高原に湯煙を上げている。
昭和34年までは志学温泉の名で湯治場として知られていたが、厚生省(当時)が国民保養温泉地に指定、その際に温泉名を現在の三瓶温泉に変更した。

三瓶温泉に向かい、先ずは三瓶温泉の源泉に最も近い湯元旅館に立ち寄る。

夕食についた鯛のあら煮は美味しかった。

清嵐荘は、少し前のガイドブックでは国民宿舎となっている.。斐伊川沿いの小高い丘の上にあり、周囲は低い山に囲まれている。

わたしの初めての一人旅の気楽さ、低料金の宿を探してぶつかったのがさんべ荘で、とにかくコストパーフォマンスの良い宿だ。

「苫田ダム建設に伴う地域振興対策として、旧奥津町が総事業費38億円を投じて建設した「箱物温泉」だ。甚だ風情に欠け、温もりを感じられない施設だ。

旅館のような名前だか、無人の共同浴場。加温・加水無しの源泉が贅沢に溢れ出ていた。

直径3mの宇豆柱

深さ120cmの「立湯」

足下湧出の「鍵湯」

1日目

奥津温泉 奥津荘(記事は後日掲載)

3回立ち寄り湯を逃した奥津温泉奥津荘、ならばと高めの宿泊料金に目をつむって、8カ月後の2010年12月に宿泊、有名な足下湧出風呂の鍵湯や深い湯船の立湯と2か所の貸切風呂を堪能した(記事は追って掲載)。

後日談

三瓶温泉 亀の湯 

三瓶温泉 志学薬師 鶴の湯

4番目の風呂は、当日閉鎖されていて撮影できなかった。

千原温泉 千原湯谷湯治場 

出雲湯村温泉 湯乃上館漆仁の湯 

出雲湯村温泉は、中国山地、斐伊川上流の静かな山里に位置する。
ここは1200年の歴史があり、出雲風土記の中にも「漆仁川(斐伊川)の川辺に薬湯が湧く」と記載されている。
斐伊川を挟んで、木次町に湯乃上館、吉田町側に清嵐荘が建ち、どちらも素朴な趣きの宿である。

海潮温泉 海潮荘

朝食は料金の割には充実

粉雪が舞った。

木造の露天風呂は風情たっぷりだ。

再び三瓶温泉に引き返したが、チェックインにまだ余裕があったので、2つの素晴らしい共同浴場に立ち寄った。

足下から炭酸泉が湧出し、気泡が湯面ではじけている。
3年連続温泉チャンピオンとなった郡司勇さんはその著書「一湯入魂」で、他の温泉は1ページなのに、千原温泉だけ2ページを割いて興奮気味に「最高の風情と泉質を備えた満点の温泉」と絶賛されている。

地味な外観や無人であることから、一見すると「じもせん(地元専用)」に見える。.
黄土色の温泉が静かに溢れ出ていて、温泉マニアがしびれる雰囲気を持っている。。

三瓶温泉の素晴らしい共同浴場の一つ。鶴の湯は、時が止まったような温泉街の中ほどにあり、石見地方独特の赤褐色の石州瓦を葺いた建物で観光案内所が併設されている。

巨木の「定めの松」

三瓶山を背景に一緒に旅したアル。

千原温泉への入口

最後の数キロは退避場所以外ではすれ違いが出来ない。

2日目

朝8時過ぎに自宅を出発し、第二阪和・阪神高速・近畿道経由して中国道へ。
いつものことながら、日本一運転マナーの悪い京阪神を抜けるには神経を使う。逆にここで運転できれば、日本中怖い道は無くなる。

花美人の里

胸くらいまで来る深さで、岩盤を利用しているので、底はごつごつで大きな段差がある。底のボーリングホールから湯が噴出される足元湧出の温泉で、仰向けに横になると体が浮き上がるほどだ。

何れも源泉かけ流しの旅館3軒、「奥津荘」「東和楼(とうわろう)」「河鹿荘」が隣り合わせに並ぶ。
温泉教授・松田忠徳氏が、著書「日本百名湯」で奥津温泉をその中の一つとして選考、旅館はここ東和楼を推薦している。

奥津温泉は美作三湯の中でもっとも俗化度が低い小さな温泉地で、民宿を含めてわずか8軒の宿が、吉井川を跨ぐ奥津橋の周辺に点在している。

直木賞作家・藤原審爾が、奥津温泉を舞台にした「秋津温泉」を著作。
これが昭和37年に岡田 茉莉子がヒロインを演じて映画化されて、奥津温泉は一躍全国に知られることとなった。

今日は大山隠岐国立公園内、活火山のの三瓶山(1126m)周辺の秘湯群に立ち寄り、その内の一つ、三瓶温泉の国民宿舎さんべ荘に宿泊する。
秘湯群の中には、道を間違えると冷汗を掻くような隘路を通る破目になるロケーションにあるため、ナビに頼らず、最短距離に拘らない慎重なルート選びを事前に行った。

風呂の底から湧き出る温い温泉がなんとも心地よい。

三瓶(さんべい)温泉 (島根県)

珍しくも生卵がついた質素な朝食、これはこれで嬉しい。

西日本では数少ない「日本秘湯を守る会」の宿。
樹齢800年の椎の大木を仰ぎ見ながらの露天風呂。

斐伊川の支流である赤川の上流、のどかな山里に湧く海潮温泉は、天平5年(733年)に著された出雲国風土記でも登場する古湯で、現在は旅館がわずか2軒の小さな温泉地。

現在の本殿は、高さは8丈(およそ24m)で、これも神社としては破格の大きさであるが、かつての本殿は現在よりもはるかに高く、中古には16丈(48m)、上古には32丈(およそ96m)であったと伝えられる。
これを裏付けるのが宇豆柱である。

近年、出雲大周辺では古代史研究者を震撼させる発見が相次いでいる。

有名な「加茂岩倉遺跡」は、平成8年10月、農道の工事中に発見されたもので、大小39個の銅鐸が出土、平成20年には国宝に指定された。


また荒神谷で、銅剣358本(国宝)が一挙に発掘された。
これらの地を訪れたかったが、温泉を優先させたため、時間がなかった。

古代史に凝った時代もあり、久しぶりに出雲大社に参拝しようと思ったが。手前にある古代出雲歴史博物館に立ち寄った。ここで時間を過ごしてしまい、肝心の大社は省略。

今日の宿泊地は宍道湖の南方に位置する出雲湯村温泉、その前に出雲大社を観光し海潮温泉に立ち寄る。中国道落合JCTから米子自動車道経由で先ずは出雲大社へ。

東和楼

最終日、どこに寄ろうか地図と睨めっこした結果、奥津温泉の奥津荘を目指すことにした。これまで2回行って、2回とも日帰り入浴が出来なかったからだ。
米子自動車道から中国自動車道に乗り換えて間もなく、院庄ICで下りて国道179号線に乗って北上、奥津温泉に入った。
ところが、又もや奥津荘は日帰り入浴が休業、止むを得ず隣の東和楼に2回目の入浴、ついで日帰り施設にも立ち寄った。

三瓶温泉 国民宿舎さんべ荘 (島根県)

湯元旅館はその名の通り、三瓶温泉の源泉に最も近い所にある。温泉マニアなら涙が出そうな豪快な掛け流しの内湯。

海潮温泉から20km足らず、国道314号線沿いの出雲湯村温泉に向かう。

出雲湯村温泉の共同浴場的存在の漆仁の湯

河原の露天風呂は、あいにく増水のため入浴出来なかった。

海潮温泉 かじか荘

海潮温泉に向かう途中の山里。
家々には島根県一帯で使われるオレンジ色の石州瓦が葺かれている。

前日宿泊した出雲湯村温泉から54号線を南下、赤名で旧石見銀山街道沿いの県道166号線に乗って西北に進み、看板にしたがって、美郷町・石原の集落から山あいに入って行く迂回ルートをとった。それでも最後の数キロはすれ違いが出来ない道となったが、対向車が来てバックする目には遭わなかった。

1人旅故、バス・トイレはもちろん、広縁・洗面所も無い6畳に宿泊。

古代出雲歴史博物館

風呂は単純温泉の源泉掛け流し。

夕食は素朴で家庭的なもの。

標高450m、三瓶山西の原を再び通過、アルを思いっきり草原を走らせた。

定めの松の前の「レストハウスさだめ」で蕎の昼食。思いがけず美味しかった。

斐伊川沿いの出雲湯村温泉。写真は湯乃上館とその外湯である漆仁の湯。

海潮温泉 (島根県)

出雲湯村温泉 清嵐荘